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ゲラサの狂人(マルコ5:1-20)
고요한 2026-02-06 추천 0 댓글 0 조회 25

20240707 青年部礼拝

聖書:マルコ5:1-20
題目:ゲラサの狂人
賛美:주님의 사랑
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회

はじめに ― 私たちは人を助けるべきか

今日の聖書の物語は、
「人々が見捨てた一人の狂人に対して、イエスだけが関心を持ち、憐れみ、癒された」
という出来事です。

そして同時に、

・悪魔を含むすべての悪霊がキリストの権威の下にあること
・救われた者には福音を伝える使命が与えられていること

この二つの真理も教えています。

イエスがされたように、私たちも他者を憐れみ、キリストの主権を信じ、地の果てに至るまで救いを証しする者となるべきです。

しかし、ここで一つの問いが生まれます。

「私たちは本当に他人を助けるべきなのでしょうか?」

2015年、中国河南省でこんな事件がありました。

4歳と7歳の姉妹が池に転落しました。
大学3年生の孟瑞鵬(モン・ルイホン)という青年が、服を脱ぎ、迷わず池に飛び込み、二人を助け出しました。

しかし彼は途中で力尽き、溺死してしまいました。

ところが姉妹は
「男が欄干にもたれて壊れ、私たちも落ちた」
と嘘の証言をしました。

その結果、人々は彼を非難し、警察もその方向で調査を始めました。

後に、脱ぎ捨てられた服と第三者の証言によって真実が明らかになり、姉妹の証言は嘘だと分かりました。
親が責任を恐れて、子どもに嘘をつかせていたのです。

中国では、人助けをして逆に訴えられるケースが多く、助ける前に証拠写真を撮る文化さえあります。
このような風潮は韓国にも広がっています。

もし自分の人生と家族を守ることだけを考えるなら、
「人助けはしない方がいい」
という結論になるでしょう。

では、私たちはどう生きるべきでしょうか。

宗教生活ではなく信仰生活をするなら、私たちはイエスに似ていきます。
自然と良い行いをしたくなります。

憐れな人を見たとき、
自分の人生を守るのか、それともその人を助けるのか。

今日の御言葉が、その答えを与えてくれます。


第一部 イエスと狂人の出会い

イエスはガリラヤ湖の嵐を静めた後、デカポリス地方のゲラサに来られました。
そこはギリシャ人の都市であり、完全な異邦の地でした。

すると、悪霊に取り憑かれた男が墓場から出てきて、イエスに会いに来ました。

彼は墓場を住みかとし、鎖でも縛れないほどの力で暴れ、昼も夜も叫び、自分の体を傷つけていました。

町の人々は彼を恐れ、洞穴に隔離しました。
つまり彼は、社会から捨てられた存在でした。

しかし、イエスは違いました。
イエスは彼に近づかれました。


第二部 悪霊とイエスの対峙

イエスが
「汚れた霊よ、この人から出ていけ」
と言われると、悪霊は叫びました。

「いと高き神の子イエスよ、私を苦しめないでください!」

イエスが名を尋ねると、

「レギオン。大勢だからです」

と答えました。

そして追い出さないでほしいと懇願し、豚の群れに入らせてほしいと頼みました。

イエスが許可されると、悪霊は二千匹の豚に入り、豚は崖から海に飛び込み、溺れ死にました。

この出来事を見て、町の人々は恐れました。


第三部 町人の反応とイエスの心

町人たちは、正気に戻った男を見ました。
着物を着て、静かに座っていました。

しかし彼らは感謝しませんでした。

「出て行ってください」

とイエスに頼んだのです。

なぜでしょうか。

彼らにとって、
一人の人間の救いより、豚二千匹の経済的損失の方が重要だったからです。

人の価値よりお金を選んだのです。


第四部 救われた者の使命

癒された男は、イエスについて行きたいと願いました。
人生をかけてもいいと思えるお方に初めて出会ったからです。

しかしイエスは言われました。

「家族のもとに帰り、主があなたにしてくださったことを知らせなさい。」

彼はデカポリス全域で証しを始めました。

救われた瞬間、彼は宣教師になったのです。


第五部 三つの真理

① イエスは見捨てない

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」(マルコ2:17)

人々は彼を見捨てました。
しかしイエスは見捨てませんでした。

私たちはどうでしょうか。

② 悪魔さえもイエスの権威の下にある

「父の許しがなければ、一羽も地に落ちない」(マタイ10:29)

悪魔は勝手に動いているように見えても、神の許可なしには何もできません。

神はすでに勝利しておられます。
私たちは恐れる必要はありません。

③ 救われた者には使命がある

「わたしも彼らを世につかわしました」(ヨハネ17:18)

私たちがまだこの世にいるのは、使命のためです。
救いはゴールではなくスタートです。

使命が終わった時、天に召されます。


まとめ

① 人が見捨てても、イエスは見捨てない
② 悪魔と悪霊さえもイエスの権威の下にある
③ 救われた者は福音を伝える使命を同時に与えられている

だから私たちは、イエスに似る者として恐れず、
宣教を含め、善行を大胆に行う一週間を歩みましょう。


補足(ギリシャ語)

誘惑:πειράζω(ヤコブ1:13) 

試練:πειρασμός(ルカ22:28)​ 

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