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赦されるために(ルカ5:18-20)
고요한 2026-02-07 추천 0 댓글 0 조회 20

 

20240717水曜祈祷会

聖書:ルカ5:18-20

題目:赦されるために

賛美:250、252、259、260

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회

はじめに

今日の箇所は、中風の人がイエス様のもとに運ばれ、癒される有名な場面です。

しかしこれは、単なる「病気が治った奇跡」ではありません。

この出来事の中心テーマは、**癒しではなく「赦し」**です。

イエス様はまず病気ではなく、
「あなたの罪は赦された」
と宣言されました。

今日はこの「赦し」の意味について、御言葉から考えていきます。


第一部 赦しの意味

① ἀφίημι(アフィーミ)=「行かせる」

「赦す」という言葉は、ギリシア語でἀφίημι(アフィーミ)と言います。

これは「行かせる」「去らせる」という意味です。

つまり、罪の赦しとは、
罪を帳消しにすることではなく、罪そのものを去らせること
です。

そして、罪を本当に取り除くことができるのは、キリストだけです。

ですから今回の出来事は、ただの癒しの奇跡ではありません。

癒しは、
イエスが罪を取り去ることのできるお方であることを、目に見える形で示した出来事
なのです。


第二部 中風病者の癒し

① 緊張に満ちたカペナウムの家

場所はカペナウム、おそらくペテロの家でした。

イエス様の噂を聞いた人々が集まり、癒しと教えを受けていました。

そこにはパリサイ人たちも来ていました。
彼らはイエスのメシア運動を吟味し、批判するために集まっていたのです。

癒されたい人々と、否定したい人々。
その場は緊張に満ちていました。


② 招かれざる客

そこに四人の男が、中風の人を床に乗せて運んできました。

彼は脳溢血の後遺症で体が麻痺していたと思われます。
自分では動くことができません。

しかし人が多すぎて、家の中に入れませんでした。


③ 彼らの大胆な行動

普通なら諦めて帰るでしょう。

しかし彼らは諦めませんでした。

屋上に上り、瓦をはがし、
寝床ごとイエスの前に吊り下ろしたのです。

非常識だと言われても、批判されても関係ありません。

何としてもイエスの前に連れて行く。

それが彼らの信仰でした。


④ イエスの宣言 ― まず罪の赦し

イエスは彼らの信仰を見て言われました。

「人よ、あなたの罪は赦された。」

「人よ(アンスロポス)」という言葉には、
「友よ」という親愛な響きがあります。

英語では「Man」「Friend」。

イエスの温かいまなざしが込められています。

また、

Your sins have been forgiven

罪は複数形、
赦されたは現在完了受動態。

つまり
「あなたの罪は、すでに赦されている」
という宣言です。

屋根を壊してでも連れて来ようとする彼らの信仰を、イエスは見られたのです。

そしてまず罪の赦しを宣言されました。

これはパリサイ人たちに、
「わたしには罪を赦す権威がある」
と示すためでもありました。


⑤ パリサイ人の心

彼らは心の中で考えました。

「罪を赦せるのは神だけだ。
この人は神への冒涜者だ。」

しかし彼らは、
「ではイエスは神なのではないか」
とは決して考えませんでした。

心が閉じていたのです。


⑥ イエスの答え

イエスは言われました。

「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」

口で言うだけなら「赦された」と言うほうが簡単です。

しかし「歩け」は結果が伴います。

そこでイエスは、
「寝床をたたんで家に帰りなさい」
と命じ、罪の赦しが本物であることを証明されました。


⑦ 結果

その人はすぐに立ち上がり、神をあがめながら帰っていきました。

人々は驚き、神をほめたたえました。

しかし同時に、イエスを受け入れるか拒むかの分岐点に立たされました。

一方パリサイ人たちは、イエスを危険人物と見なし、監視し、論争を挑むようになります。


第三部 適用

① 赦しは与えられるもの

人間には、罪を赦すかどうかを議論する権利はありません。

赦しはただ与えられるものです。

この中風の人は何もできませんでした。

才能も、努力もありません。

ただ
「イエスなら何とかしてくださる」
という信仰だけでした。

その結果、罪が去り、病も去りました。


② 必要なのは近づく努力

私たちの努力で清くなるのではありません。

罪を取り去ることができるのはキリストだけです。

私たちにできることは、
イエスに近づくこと
それだけです。

赦された事実を知ることで、人は変わります。

近づけば近づくほど赦しを知り、
赦しを知るほど平安が与えられます。

罪悪感のために神から離れるなら、いつまでも平安は来ません。


③ 先に受け取ったのは神様の一方的恵み

救いは能力や努力の結果ではありません。

完全な贈り物です。

中風の人の友人たちは、彼を見捨てませんでした。
自分が健康だから良いとは考えませんでした。

犠牲を払って彼を運びました。

私たちが信仰生活を続けられるのも神様の恵みです。

それは人を批判するためではなく、
助け、補い、支えるためです。

「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」

誇る理由は何一つありません。


第四部 宮沢賢治の証し

宮沢賢治は熱心な仏教徒でした。

本当の幸せを求め、法華経に出会い、理想社会の実現を目指しました。

しかし内村鑑三やキリスト者との出会いによって気づきます。

救いは人間の下からの努力ではなく、
上から来る神の恵みである
ということに。

『銀河鉄道の夜』に登場する十字架には、
幸せは十字架から来るというメッセージが込められているのではないでしょうか。


まとめ

① 赦しは与えられるもので、私たちは受け取るだけでよい

努力して得るものではない。

② 必要なのは恵みを受け取るために近づく努力

清められるのはキリストだけ。

③ 先に赦されたのも神様の恵み

だから他の人を助け、赦し、神様を伝える。


私たちはすでに赦された者です。

だからこそ、
赦しを受け取り、
赦しを分かち合い、 

赦された者として歩んでいきましょう。​ 

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