20240715早天祈祷会
聖書:士師記3:12-15
題目:主に立ち返るための18年間
賛美:380
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
士師記には、イスラエルの信仰の歴史が繰り返し描かれています。
主に従うと平安があり、
主を忘れると罪に陥り、
その結果、苦難が起こり、
そして苦しみの中で再び主に叫び求める。
この循環が何度も続きます。
今日の箇所は、最初の士師オテニエルの死後、再び堕落したイスラエルが、十八年間の苦難を通して主に立ち返る物語です。
第一部 本文解説
① オテニエルの死と、再び始まった罪
オテニエルが生きている間、イスラエルには四十年間の平安がありました。
しかし彼が死ぬと、民は再び主の前に悪を行いました。
これは霊的な「浮気」です。
オテニエルのもとで神様の恵みを学んだはずなのに、彼らは何も学ばず、また偶像に心を向けてしまいました。
そこで主は、モアブの王エグロンを強くし、イスラエルに敵対させられました。
ここで私たちは大切な真理を見ます。
神様は、敵対する者さえも強くすることができるお方である
ということです。
エグロンはアンモン人とアマレク人を集めてイスラエルを攻め、
「しゅろの町」、すなわちエリコを占領しました。
エリコは通商の要所であり、経済的にも重要な町です。
そこを失うことは、イスラエルにとって大きな経済的打撃でした。
② 十八年間の苦難
こうしてイスラエルは、モアブの王に十八年間仕えることになりました。
しかし問題はモアブではありません。
本当の原因は、
イスラエルの不貞、神様から離れた心
にありました。
前回は八年で叫びましたが、今回は十八年もかかりました。
それほど彼らの心は鈍くなっていたのです。
それでも、主に叫び求めたとき、神様は彼らを見捨てられませんでした。
主はベニヤミン族のエフデを救助者として立てられました。
③ 左利きのエフデ
エフデは左利きでした。
当時、左利きは普通ではなく、弱い存在と見なされがちでした。
しかし聖書には、ベニヤミン族には左利きの精鋭七百人がいたとも記されています。
神様は、強そうな人ではなく、
弱いと思われる者を通して働かれるお方
です。
人間の能力ではなく、神様の力が働くためです。
第二部 新約聖書的適用
① 神様は敵対する者も用いられる
私たちは時々疑問に思います。
「なぜ悪が栄えるのか?」
しかし、それは彼らが優れているからではありません。
神様がご自身の計画のために用いておられるからです。
私たちには理解できない神様のご計画があります。
だから悪を羨む必要はありません。
アッスリヤもバビロンも、神様に用いられました。
そして最大の例はイエス様の十字架です。
悪魔はパリサイ人やユダヤ人を用いてイエスを滅ぼしたつもりでしたが、
それさえも神様の救いの計画の中にありました。
② 苦難は悔い改めのためにある
「なぜ私に苦しみがあるのか」と私たちは問います。
しかし問題は神様でも他人でもなく、自分の内側にあります。
それは神様の力が弱いからでも、私たちの力が足りないからでもありません。
それは
神様の愛の鞭
です。
神様は私たちを滅ぼすためではなく、立ち返らせるために苦難を許されます。
洗礼者ヨハネもイエス様も、ローマに向かってではなく、ユダヤ人に向かって「悔い改めよ」と叫びました。
悔い改めこそが救いの道だからです。
③ 最も良いタイミングで救援者を立てられる神様
私たちは「なぜ神様はすぐ助けてくださらないのか」と思います。
しかし神様には最善のタイミングがあります。
この時は十八年でした。
神様は、私たちが自分を誇り高ぶる状態では働かれません。
私たちが完全に弱り果て、神様にしか頼れなくなった時に働かれます。
神様は四十歳のモーセではなく、八十歳のモーセを召されました。
また、ヤイロの娘が死んだ後に来られ、彼女をよみがえらせました。
人間の力が尽きたとき、神様の力が最もはっきり現れるのです。
まとめ
今日の御言葉から、三つのことを心に刻みましょう。
① 神様は敵対する者も用いられる
悪が栄えているように見えても、すべては神様のご計画の中にあります。
② 苦難は悔い改めるためにある
苦難は罰ではなく、神様の愛の鞭です。
③ 神様は最も良いタイミングで救援者を立てられる
神様は最善の時に必ず助けを備えてくださいます。
十八年という長い時間も、
実は「主に立ち返るための恵みの時間」でした。
私たちも今日、
問題を見るのではなく、
その背後におられる神様の導きを見つめ、
主に立ち返る一日を歩んでまいりましょう。


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