20240717水曜祈祷会
聖書:ルカ5:18-20
題目:赦されるために
賛美:250、252、259、260
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
今日の箇所は、中風の人がイエス様のもとに運ばれ、癒される有名な場面です。
しかしこれは、単なる「病気が治った奇跡」ではありません。
この出来事の中心テーマは、**癒しではなく「赦し」**です。
イエス様はまず病気ではなく、
「あなたの罪は赦された」
と宣言されました。
今日はこの「赦し」の意味について、御言葉から考えていきます。
第一部 赦しの意味
① ἀφίημι(アフィーミ)=「行かせる」
「赦す」という言葉は、ギリシア語でἀφίημι(アフィーミ)と言います。
これは「行かせる」「去らせる」という意味です。
つまり、罪の赦しとは、
罪を帳消しにすることではなく、罪そのものを去らせること
です。
そして、罪を本当に取り除くことができるのは、キリストだけです。
ですから今回の出来事は、ただの癒しの奇跡ではありません。
癒しは、
イエスが罪を取り去ることのできるお方であることを、目に見える形で示した出来事
なのです。
第二部 中風病者の癒し
① 緊張に満ちたカペナウムの家
場所はカペナウム、おそらくペテロの家でした。
イエス様の噂を聞いた人々が集まり、癒しと教えを受けていました。
そこにはパリサイ人たちも来ていました。
彼らはイエスのメシア運動を吟味し、批判するために集まっていたのです。
癒されたい人々と、否定したい人々。
その場は緊張に満ちていました。
② 招かれざる客
そこに四人の男が、中風の人を床に乗せて運んできました。
彼は脳溢血の後遺症で体が麻痺していたと思われます。
自分では動くことができません。
しかし人が多すぎて、家の中に入れませんでした。
③ 彼らの大胆な行動
普通なら諦めて帰るでしょう。
しかし彼らは諦めませんでした。
屋上に上り、瓦をはがし、
寝床ごとイエスの前に吊り下ろしたのです。
非常識だと言われても、批判されても関係ありません。
何としてもイエスの前に連れて行く。
それが彼らの信仰でした。
④ イエスの宣言 ― まず罪の赦し
イエスは彼らの信仰を見て言われました。
「人よ、あなたの罪は赦された。」
「人よ(アンスロポス)」という言葉には、
「友よ」という親愛な響きがあります。
英語では「Man」「Friend」。
イエスの温かいまなざしが込められています。
また、
Your sins have been forgiven
罪は複数形、
赦されたは現在完了受動態。
つまり
「あなたの罪は、すでに赦されている」
という宣言です。
屋根を壊してでも連れて来ようとする彼らの信仰を、イエスは見られたのです。
そしてまず罪の赦しを宣言されました。
これはパリサイ人たちに、
「わたしには罪を赦す権威がある」
と示すためでもありました。
⑤ パリサイ人の心
彼らは心の中で考えました。
「罪を赦せるのは神だけだ。
この人は神への冒涜者だ。」
しかし彼らは、
「ではイエスは神なのではないか」
とは決して考えませんでした。
心が閉じていたのです。
⑥ イエスの答え
イエスは言われました。
「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」
口で言うだけなら「赦された」と言うほうが簡単です。
しかし「歩け」は結果が伴います。
そこでイエスは、
「寝床をたたんで家に帰りなさい」
と命じ、罪の赦しが本物であることを証明されました。
⑦ 結果
その人はすぐに立ち上がり、神をあがめながら帰っていきました。
人々は驚き、神をほめたたえました。
しかし同時に、イエスを受け入れるか拒むかの分岐点に立たされました。
一方パリサイ人たちは、イエスを危険人物と見なし、監視し、論争を挑むようになります。
第三部 適用
① 赦しは与えられるもの
人間には、罪を赦すかどうかを議論する権利はありません。
赦しはただ与えられるものです。
この中風の人は何もできませんでした。
才能も、努力もありません。
ただ
「イエスなら何とかしてくださる」
という信仰だけでした。
その結果、罪が去り、病も去りました。
② 必要なのは近づく努力
私たちの努力で清くなるのではありません。
罪を取り去ることができるのはキリストだけです。
私たちにできることは、
イエスに近づくこと
それだけです。
赦された事実を知ることで、人は変わります。
近づけば近づくほど赦しを知り、
赦しを知るほど平安が与えられます。
罪悪感のために神から離れるなら、いつまでも平安は来ません。
③ 先に受け取ったのは神様の一方的恵み
救いは能力や努力の結果ではありません。
完全な贈り物です。
中風の人の友人たちは、彼を見捨てませんでした。
自分が健康だから良いとは考えませんでした。
犠牲を払って彼を運びました。
私たちが信仰生活を続けられるのも神様の恵みです。
それは人を批判するためではなく、
助け、補い、支えるためです。
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」
誇る理由は何一つありません。
第四部 宮沢賢治の証し
宮沢賢治は熱心な仏教徒でした。
本当の幸せを求め、法華経に出会い、理想社会の実現を目指しました。
しかし内村鑑三やキリスト者との出会いによって気づきます。
救いは人間の下からの努力ではなく、
上から来る神の恵みである
ということに。
『銀河鉄道の夜』に登場する十字架には、
幸せは十字架から来るというメッセージが込められているのではないでしょうか。
まとめ
① 赦しは与えられるもので、私たちは受け取るだけでよい
努力して得るものではない。
② 必要なのは恵みを受け取るために近づく努力
清められるのはキリストだけ。
③ 先に赦されたのも神様の恵み
だから他の人を助け、赦し、神様を伝える。
私たちはすでに赦された者です。
だからこそ、
赦しを受け取り、
赦しを分かち合い、
赦された者として歩んでいきましょう。


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