20240804早天祈祷会
聖書:士師記5:28-31
題目:神様の民に敵対する者の末路
場所:중앙성서교회
1.本文解説
本日の箇所は、デボラとバラクの勝利の歌の最後の場面です。ここには、戦いに敗れたシセラの家の様子が描かれています。
① シセラとは
シセラは、カナンの王ヤビンに仕える将軍でした。
彼は鉄の戦車900両を持つ強大な軍隊を率い、イスラエルを20年間も苦しめ、支配していた人物です。
人間的に見れば、圧倒的な力を持つ成功者でした。しかし、神に敵対した結果、最期はヤエルによってあっけなく命を落とします。
② シセラの母
その母親は、窓辺に立ち、息子の帰りを待っています。
将軍が40〜50歳だとすると、母は60〜70歳ほどでしょう。
しかし彼女は、息子の死を考えようとせず、
「戦利品を分けているのだろう」
「女や衣服を奪って楽しんでいるのだろう」
と、自分に都合の良い想像をして現実から目を背けています。
この姿は、この世の力と成功を盲信する人間の愚かさを象徴しています。
③ デボラの告白
それに対して、デボラははっきりと宣言します。
「主よ、あなたの敵はみなこのように滅び、
あなたを愛する者は太陽のように輝きますように。」
神の敵は必ず滅び、神を愛する者は高く引き上げられる。
そして実際に、イスラエルは20年の苦役の後、40年の平安を得ました。
神に従う者には、倍の祝福が与えられるのです。
2.新約聖書からの適用
① 神に仕えるか、富に仕えるか
「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6:24)
私たちは両方に仕えることはできません。必ずどちらかを選ばなければなりません。
「信仰はないが、賢く、かっこよく、仕事ができる」
それは本当に祝福でしょうか。
シセラはこの世では成功者に見えました。しかし神の前では何の価値もなく、滅びました。
この世の力に頼る者の結末は空しいのです。
だから私たちは、富ではなく、神に仕える者でなければなりません。
② イスラエルの母か、シセラの母か
「人の前でわたしを受け入れる者を、わたしも受け入れる。」(マタイ10:32-33)
デボラは「イスラエルの母」と呼ばれました(士師5:7)。
彼女は人々を神のもとへ導き、神だけに頼る姿を示しました。
一方、シセラの母はどうでしょうか。
神に祈ることもなく、ただこの世の力と富を信じています。
私たちはどちらの母の姿に似ているでしょうか。
私たちの信仰は隠すものではありません。
家族や子どもたちが、
「母(父)は神様に仕える人だった」
と言えるような生き方をする必要があります。
私たち自身が、神を大胆に証しする存在にならなければなりません。
③ 神様の味方か、この世の味方か
「今こそこの世の君は追い出される。」(ヨハネ12:31-32)
聖書は悪魔を「この世の君」と呼びます。
しかしこの世の君は必ず追い出され、神の国が最終的に勝利します。
つまり、私たちは中立ではいられません。
神の側につくのか。
それともこの世の側につくのか。
問題は「どれだけ持っているか」ではありません。
「誰の側に立っているか」がすべてです。
そして私たちの使命は、人々を神の側へ導くことなのです。
3.まとめ
私たちは今日、三つの決断を求められています。
第一に、この世の富ではなく、神様に仕えましょう。
富のために生きる人生は、シセラのように悲惨な結末を迎えます。
第二に、デボラのように、神に仕える姿を人々に見せる者になりましょう。
この世のものに執着する生き方は、シセラの母のように哀れです。
第三に、裁きの日が来る前に、神の側に立ち、人々を神のもとへ導く使命を生きましょう。
私たちがデボラのように使命に生きるとき、
神様は私たちを太陽のように高く引き上げてくださいます。


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