20240815早天祈祷会
聖書:士師記7:1-3
題目:誇るといけないから
賛美:421
説教:高曜翰 副牧師
1.本文解説
① ギデオンと民の出陣準備
ギデオン(エルバアル)と彼に従うすべての民は、朝早く起き、ハロデの泉のほとりに陣を取りました。ミデアン人は北方、モレの丘に沿った谷に陣を構えていました。
朝早く起きたということは、彼らが消極的ではなく、積極的に準備していたことを意味します。ギデオンは人々を一生懸命に説得し、兵士を集めたことでしょう。その結果、三万二千人の戦士が集まりました。当時としては、決して少なくない数です。
ハロデの泉とモレの丘はガリラヤ湖の南西に位置し、北からタボル山、モレの丘、ハロデの泉の順に並んでいます。地理的にも、いよいよ戦いが始まる緊迫した状況でした。
② 主が「多すぎる」と言われた理由
しかし主はギデオンに言われました。
「あなたと共にいる民は多すぎる。もしこのまま勝利すれば、イスラエルは『自分たちの手で自分を救った』と誇るであろう。」
ここで神様は、人数の多さを問題にされました。人間的に見れば、多いほど安心です。しかし神様は、むしろそれを不満とされました。
それは、人が自分を誇るようになるからです。
神様は、私たちの「自慢」を徹底的に嫌われます。栄光はただ神様だけのものだからです。「人に褒められたい」「自分の力で成し遂げた」と考える心は、神様の栄光を奪う罪になります。
戦いに勝つこと以上に大切なのは、「誰が栄光を受けるか」ということなのです。
③ 「恐れる者は帰れ」
主はさらに命じられました。
「恐れおののく者は帰れ。」
その結果、三万二千人のうち二万二千人が帰り、残ったのは一万人だけでした。三分の二以上が去ったのです。
ギデオンからすれば、苦労して集めた兵士が減っていく、理解できない出来事だったでしょう。
しかし、恐れている者は他の兵士の士気を下げます。また、主が共におられるのに恐れるということ自体が、信仰の欠如を示しています。
神様が主の民に求めておられるのは、「恐れるな」という信仰なのです。
2.新約聖書からのメッセージ
① 神様は誇る者を喜ばれない
「決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」(エペソ2:9)
私たちが何かを達成するとき、それは神様が働いておられる結果です。神様の助けや許可なしに、私たちが何かを成し遂げることはできません。
イエス様も決して自慢されませんでした。エルサレム入場のとき以外、人々の称賛を求めることはありませんでした。
誇る信仰ではなく、感謝する信仰こそ、神様が喜ばれる姿です。
② 神様は恐れる者を用いない
「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネ16:33)
イエスはすでにこの世に勝利しておられます。イエスの側に立つ者は、すでに勝利が約束されているのです。
それにもかかわらずこの世を恐れることは、イエスの言葉を信じていないのと同じです。
イエスは復活を信じ、十字架への道を選ばれました。信仰とは、恐れではなく、勝利を信じて前に進むことです。
③ 神様にとって数は重要ではない
「何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」(Ⅰコリント10:31)
この世の人は教会の大きさや人数を見ます。しかし神様は心をご覧になります。
見た目の立派さや清さよりも、神様に栄光を返しているかどうかが重要です。
たとえ酒やタバコをやめていても、自慢しているなら意味がありません。それは自分のための信仰だからです。
イエスはそのようなパリサイ人は天国に入れないと言われました。
私たちは自分の栄光のためではなく、神様の栄光のために生きる存在なのです。自分の満足のためなら、むしろ何もしないほうがよいのです。
3.まとめ
私たちは今日、三つのことを心に留めましょう。
第一に、自慢しないように気をつけましょう。 第二に、恐れないように気をつけましょう。 第三に、この世の基準ではなく、神様の栄光を第一にして生きましょう。
人数の多さでも、能力の高さでもありません。
主が共におられること、そしてすべての栄光を主に帰すこと。
それこそが、真の勝利の道なのです。


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