20240821水曜祈祷会
聖書:ルカ9:30-31
題目:イエスの目的
賛美:88、91、96、94
説教:高曜翰 副牧師
Ⅰ.本文 ― 変貌山で語られた「イエスの目的」
「すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していたのである。」
この箇所は、イエスの姿が栄光に輝いた「変貌山」の出来事です。
しかし、ここで最も重要なのは、輝いた姿そのものではありません。
**モーセとエリヤが、イエスと「何を話していたのか」**です。
彼らは、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期」、すなわち エクソドス(ἔξοδος) について語っていました。
Ⅱ.過越の祭り ― エクソドスを記憶する祭り
まず、この「エクソドス」を理解するために、過越の祭りを確認します。
① 過越の祭りの日時と特徴
過越の祭りは、ユダヤ暦1月14日から21日まで続く春の祭りです。
最初の1日が過越の祭り、その後7日間が除酵祭で、合わせて「種なしパンの祭り」と呼ばれます。
この期間、家の中からすべての発酵食品を取り除き、燃やしました。
酵母は聖書において「罪」を象徴するからです。
② 過越の食事の意味
食卓に並ぶ料理にも意味があります。
種なしパンは、発酵させる時間もなくエジプトを脱出した出来事を思い出させます。
苦菜は、エジプトでの苦しみを記憶させます。
無傷の子羊の肉は、その血によって死を免れた救いを思い起こさせます。
葡萄酒については聖書に明確な規定はありませんが、後の時代に四杯の葡萄酒が用意されるようになりました。
発酵した葡萄酒が用いられていること自体、すでに形骸化の兆しとも言えます。
③ 過越の祭りの本来の意味
過越の祭りは、
-
自分たちが契約の民であることを記憶し
-
神がエジプトの奴隷状態から解放した救いの日を祝い
-
その救いを次の世代に伝える使命を思い出すための祭りでした。
④ エリヤの席 ― 形骸化した信仰
過越の祭りでは、エリヤのための席を用意し、扉を開けておきました。
メシアの前にエリヤが来ると信じられていたからです。
本来は良い意味を持つ習慣でした。
しかし、人々は イエスを拒みながら、エリヤだけを待ち続ける という矛盾に陥っていました。
ここで私たちは問われます。
私たちはイエスを正しく理解しているだろうか。
Ⅲ.物語の流れ ― 変貌山に至るまで
① 背景:ペテロの告白と弟子たちの混乱
ペテロは「あなたは神のキリストです」と告白しました。
イエスはその告白を認めつつ、自分が苦しみ、殺され、三日目によみがえることを語られました。
それは、人々が期待していた政治的・成功的メシア像とは正反対でした。
さらにイエスは、
「自分を捨て、日々自分の十字架を負って従いなさい」
と語られました。
弟子たちにとって、これは非常に衝撃的な言葉でした。
② 八日後、変貌山で起こったこと
イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて山に登られました。
これは、モーセがシナイ山に登った時に三人が選ばれたことを思い起こさせます。
イエスが祈っている間、弟子たちは眠っていました。
これはゲッセマネでも繰り返される失敗です。
その時、イエスの顔と衣は白く輝き、モーセとエリヤが現れました。
モーセは律法の代表であり、神によって葬られた人物です。
これは復活を示しています。
エリヤは生きたまま天に挙げられた預言者であり、昇天と携挙を象徴しています。
彼らはイエスを励ますために現れました。
イエスの苦難を本当に理解できる者が地上にはいなかったからです。
③ 話題は「エクソドス」
彼らが語り合っていたのは、
「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期」でした。
ルカはここで ἔξοδος(エクソドス) という言葉を使います。
これは「脱出」「出発」を意味します。
イエスの死は、単なる悲劇ではありません。
霊的な出エジプトなのです。
子羊の死の後に荒野の旅が始まったように、
イエスの死の後、教会の旅が始まります。
④ ペテロの誤解と神の訂正
ペテロは「ここに幕屋を三つ建てましょう」と言いました。
彼は、この栄光が続くことを願いました。
しかしそれは、
イエスをモーセやエリヤと同列に置く誤りでした。
その時、雲の中から声がしました。
「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け。」
雲が去ると、そこにはイエスだけがおられました。
イエスが唯一の救い主であることが示されたのです。
Ⅳ.解説 ― イエスの目的はエクソドス
① 二つのメシア像
ユダヤ人は、ローマからの政治的解放を期待していました。
しかし神の計画は違いました。
神のメシアは、
罪と死から人を解放し、
神の国へ導く存在です。
肉体的エクソドスではなく、霊的エクソドスです。
② 聖餐式 ― エクソドスを記憶するため
イエスは過越の食事の中で、聖餐式を制定されました。
パンを裂き、「これはわたしのからだである」と言われました。
これは、無傷の子羊の代わりに、罪なきイエスの体が裂かれることを意味します。
杯については、「これは契約の血である」と言われました。
イエスの血によって、私たちは神の国の民とされました。
賛美を歌った後、イエスはオリブ山へ向かわれました。
それは祈りの道であり、十字架へ進む道でした。
イエスは使命から逃げませんでした。
③ 聖餐式によって覚える三つのこと
第一に、イエスの犠牲によって罪と死から解放されたこと。
第二に、私たちは血の契約の中にいること。
第三に、他の人々を解放する使命が与えられていること。
Ⅴ.私たちの使命 ― ペテロの変化から学ぶ
① 変貌山のペテロ
ペテロはイエスのエクソドスを理解できず、
「ここに留まりたい」と言いました。
② 復活後のペテロ
しかし晩年のペテロは、
自分の体を「幕屋」と呼び、
自分の死を「エクソドス」と呼びました。
彼の目的は、
聖徒たちに真理を思い出させることでした。
③ 私たちの使命
人々は今も、間違ったイエス像を求めています。
しかし聖書が示すイエスは、罪と死から解放する救い主です。
イエスは言われました。
「あなたが立ち直ったなら、兄弟たちを力づけなさい。」
私たちは、誤った世の考えから兄弟を解放するために生きています。
Ⅵ.まとめ ― 私たちのエクソドス
イエスの目的は、
この世から神の国へのエクソドスでした。
私たちは、
まず罪と死から解放され、
次に他の人々の脱出を助ける使命を与えられています。
そして聖餐式を通して、
自分の救いと使命を思い出します。
イエスの目的がエクソドスであったように、
私たちの使命もエクソドスです。
アーメン。


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