20240908早天祈祷会
聖書:士師記9:14–15
題目:焼き尽くすイバラ
賛美:445
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
本日の箇所は、ヨタムのたとえ話の続きです。
木々が王を求めた結果、最後に選ばれたのは「イバラ」でした。
このたとえは、人間が神の基準ではなく自分の基準で指導者を選ぶとき、どのような結果を招くのかを強く警告しています。
1.本文の解説
(1)木々はイバラに王になるよう願った
オリーブの木、いちじくの木、ぶどうの木は王になることを断りました。
オリーブの木:「油を捨てて行くことはできない」
いちじくの木:「良い実を捨てることはできない」
ぶどうの木:「葡萄酒を捨てることはできない」
これらは当時の土地において重要な農産物であり、それぞれ神から与えられた使命を持っていました。
しかし、そのすべてが断った結果、残ったのはイバラだけでした。
イバラは実を結ぶこともできず、木陰を作ることもできません。
つまり人々は、間違った相手に頼み込んでいたのです。
アビメレクは王となる器ではありませんでした。
(2)イバラの言葉 ― 偽りの保護
イバラは言いました。
「本当に私を王にするなら、私の陰に来て避難しなさい。」
しかし、イバラは陰を作ることができる木ではありません。
これはアビメレクが自分自身を理解していないことを示しています。
それでもシケムの人々とアビメレクの思いは一致しました。
シケムの人々:自分たちの思い通りに利用できる王がほしい
アビメレク:神とは関係なく、自分が王になりたい
この一致は、神の御心による一致ではありませんでした。
(3)イバラから出る火
イバラはさらに言います。
「そうでなければ、イバラから火が出てレバノンの香柏を焼き尽くす。」
イバラは簡単に燃え尽きる木です。
一方、レバノンの杉は丈夫で高価な木であり、神殿建築にも用いられる価値ある大木です。
価値のないものが価値あるものを焼き尽くすという、あり得ない姿がここに描かれています。
そこにイバラの最大の高慢が表れています。
2.新約聖書から学ぶ
(1)指導者は人ではなく神に求める
指導者は人間に頼んで立てるものではなく、神に求めるものです。
もし神に求めなければ、私たちはアビメレクのような人物を選んでしまう危険があります。人は成果を出す力強い人に惹かれやすいからです。
しかし聖書は、「管理者に求められるのは忠実であること」(Ⅰコリント4:2)と語ります。
神に願うとき、神は忠実な僕を指導者として送ってくださいます。
成果ではなく忠実さこそ、真の指導者に必要な資質です。
そして私たちの模範はイエスであり、必要なのはイエスに似た人物です。
(2)人の目ではなく神の目に正しいか
士師記の時代、人々はそれぞれ自分の目に正しいことを行いました。その結果が混乱と裁きでした。
シケムの人々は、自分たちの思い通りに動くアビメレクを王にしようと考えました。アビメレクも、自分を王にする者を受け入れようとしました。
その結果は内部分裂でした。神の目から見て間違っていたからです。
イエスは常に、人を喜ばせるのではなく、神が喜ばれることを選ばれました。
(3)力強さよりも謙遜
私たちは100%神の力によって生かされています。
人の技術や力によって本質が変わるのではありません。
大切なのは、人を感動させる力強さではなく、神の力をそのまま現すことができるかどうかです。
アビメレクには謙遜がありませんでした。
しかしイエスは常に謙遜でした。エルサレム入城を除き、自ら礼拝を求めることはありませんでした。そして、自分の言葉はすべて父なる神から与えられたものだと言われました。
3.まとめ
正しい指導者を選ぶためにはどうすればよいでしょうか。
① 指導者は人に頼むのではなく、神様に頼むものである。
② 人の目ではなく、神様の目に正しいかどうかが大切である。
③ 力強さではなく、謙遜であるかどうかが重要である。


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