20240909早天祈祷会
聖書:士師記9:16–21
題目:受けた恵みを思い出そう
賛美:449
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
本日の箇所では、ヨタムがシケムの人々に向かって最後の警告を語ります。
彼はアビメレクだけでなく、彼を王として立てた人々の心の問題を指摘しました。
ここには、決断するときに私たちが忘れてはならない三つの大切な視点が示されています。
1.本文の解説
(1)ヨタムの問いかけ ― 本当に正しい決断だったのか
ヨタムは問いかけます。
「アビメレクを王にしたことは、真実と敬意をもって行ったことなのか。」
ここで彼はアビメレクだけでなく、シケムの人々自身を非難しています。
ギデオンは命を懸けてミデアン人と戦い、イスラエルを救いました。その恩を受けていながら、彼らはギデオンの家に背きました。
もし本当に正しい心でアビメレクを選んだのなら、それで良いのだ、とヨタムは語ります。
(2)「それが正しいなら、お互いに喜びなさい」
ヨタムは続けて言います。
もし七十人を処刑したこと、そして身内だからという理由でアビメレクを立てたことが本当に正しいのであれば、互いに喜び合いなさい、と。
これは皮肉を込めた言葉でもあります。
サムエルが息子を立てようとした出来事を思い起こさせるように、血縁や人間的理由による選びは危険を伴います。
もしそれが本当に神の前に正しいなら、神も喜ばれるでしょう、という意味です。
(3)そうでなければ火が出る
しかしヨタムは警告します。
もしそれが正しくないなら、アビメレクから火が出てシケムとミロを焼き、また彼らから火が出てアビメレクも焼き尽くす、と。
神中心であれば神が働かれますが、自分中心同士が集まれば、互いに破滅へ向かってしまいます。
ヨタムはこの預言を語った後、ベエルへ逃れました。
ベエルとは「井戸」という意味であり、荒野の中でも水のある場所です。
彼は命懸けで真実を語り、その後身を隠したのです。
2.新約聖書から学ぶ
(1)決断するとき、受けた恵みを思い出そう
イエスは言われました。
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10章)。
私たちは救いという最大の恵みを無償で受けています。これ以上の恵みはありません。
しかし、それを忘れると人は高慢になり、欲が生まれます。欲は罪を生み、罪は死へと至ります。
何を決断するにしても、これまで受けた恵みを思い出すとき、私たちは謙遜になることができます。
(2)決断するとき、神の前に正しいかを考えよう
この世界は神の世界であり、歴史は神の計画によって進められています。
人にとって正しいかどうかではなく、神の前に正しいかどうかが重要です。
イエスは十字架の道を、人の目ではなく神に正しいこととして選ばれました。その結果、罪と死に勝利し、私たちは救われました。
私たちの選択も、神の前で正しいかどうかが基準でなければなりません。
(3)決断するとき、相手の利益を考えよう
イエスは言われました。
「自分にしてもらいたいことを他の人にも行いなさい」(マタイ7章)。
またパウロは、「自己中心や虚栄からではなく、人を自分より優れた者と思いなさい」(ピリピ2章)と語ります。
理解してほしいなら、まず相手を理解する必要があります。
問題が起こると人は相手を批判しますが、それは聖書的ではありません。神は常に自分自身を顧みることを求められます。
洗礼者ヨハネもイエスも、「悔い改めよ」と語られました。相手ではなく、自分から変わることが聖書的な姿勢です。
3.まとめ
① 受けた恵みを思い出そう。
② 神様の前に正しいかどうかを考えよう。
③ 相手の利益を考えよう。
自分中心同士が集まると、互いに火で焼かれてしまいます。
もし「相手は自分中心だ」と感じるときこそ、まず自分がこの三つを思い出すことが大切です。


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