20240915早天祈祷会
聖書:士師記9:46–57
題目:報いを受ける時
賛美:450
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
本日の箇所は、アビメレクの物語の結末です。
自分を王として立てようとした者が、どのような終わりを迎えるのかが描かれています。
ヨタムが語った預言は、ついに現実となりました。
神の前で行ったことは、必ずその結果を刈り取ることになります。
1.本文の解説
(1)背景 ― アビメレクの三年の支配
アビメレクが三年間支配した後、シケムの住人はガアルに従い、アビメレクに反逆しました。
シケムの人々は「ガアルこそシケム人の血を引く者だ」と主張しました。ガアルも「シケムの父はハモルである」と言い、歴史を持ち出して人々を扇動しました。
しかし町長ゼブルはこれに怒り、アビメレクに密告します。アビメレクはガアルとその仲間を殺しましたが、怒りは収まらず、シケムの住人までも滅ぼしました。
さらに塩をまき、二度と町が再建されないようにしたのです。
(2)エルベリテの神殿の塔での戦い
シケムの人々はエルベリテの神殿の塔に避難しました。
エルベリテとは「バアルの契約の神」という意味です。
アビメレクは枝を集め、それを塔の周囲に積み上げて火をつけました。
その結果、男女およそ千人が命を落としました。
(3)テベツでの戦い
アビメレクは次にテベツを攻めました。
人々は堅固なやぐらに逃げ込みましたが、アビメレクは再び火で焼こうとしました。
その時、一人の女性がうすの上石を投げ落とし、アビメレクの頭蓋骨を砕きました。この石は約30センチほどの重い石でした。
アビメレクは「女に殺されたと言われるのは恥だ」と考え、自分の若者に剣でとどめを刺させました。
(4)報いの完成
アビメレクの死によって戦いは終わりました。
アビメレクもシケムも、それぞれ自分たちの行いに対する報いを受けました。
彼は七十人の兄弟を一つの石の上で殺しましたが、最後は石によって倒されました。
ヨタムの預言どおり、シケムからもアビメレクからも火が出て互いを滅ぼしたのです。
2.新約聖書から学ぶ
(1)神ではなく自分を立てる生き方は命を失う
イエスは言われました。
「自分の命を救おうとする者はそれを失う」(ルカ9:24)
アビメレクもシケムの人々もガアルも、自分を立てることに必死でした。その結果、互いに利用し合い、命を失いました。
イエスの時代のパリサイ人も同じでした。自分を立てることに集中したため、メシアを受け入れられず、永遠の命を失いました。
私たちも、自分が称賛を受けようとする生き方を手放さなければなりません。
自分を立てる生き方は、最終的に命そのものを失わせます。たとえば、指摘を受けたときに素直に謝るより先に言い訳が出てくる姿は、自分を守ろうとする心の表れです。
欲は争いを生み、戦いを引き起こします。
(2)隣人を憐れまない自己中心は神を無視する生き方
イエスは言われました。
「最も小さい者にしたことは、わたしにしたことである」(マタイ25:40)
自分に与えられた力を、弱い者を助けるためではなく、圧迫するために使うことは神の御心ではありません。
アビメレクもシケムの人々もガアルも、ギデオンの家族を顧みませんでした。自分を立てるために力を使ったのです。
イエスの時代でも、力によって人々を押さえつけた者たちは滅びを経験しました。ヘロデ王やサドカイ人、パリサイ人がその例です。
私たちに与えられた力は、自分の努力によるものではなく、神からの賜物です。その力は隣人のために用いられるべきです。
3.まとめ
① 神様ではなく自分を立てる生き方は、最終的に命を失う。
② 隣人を顧みない自己中心の生き方は、神様を無視することになる。
③ 神様はそれぞれの行いに応じて、必ず報いを与えられる。
自分を立てようとする者同士が集まると、互いを焼き尽くす火になります。
しかし神を中心にするとき、そこには命と回復が生まれます。


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