20240915青年部礼拝
聖書:マタイ27:46
題目:十字架の意味
賛美:십자가
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
十字架刑とは、国家反逆を企てた重罪人に対して、最も大きな苦痛を最も長く与えるための公開処刑でした。
イエス・キリストは罪がないにもかかわらず、悪魔の策略によって苦しみを受け、十字架につけられることになりました。しかしそれは同時に、罪人を救うための神様の計画でもありました。
イエスは父なる神の計画の中にある人々への愛を知り、罪がないのに十字架を受け入れられました。
人々にとって十字架は無意味なものでしたが、私たちにとってはイエスの苦難、救い、そして神の愛を示す象徴です。
この十字架を知ったとき、私たちは何を選ぶのでしょうか。
1.十字架刑とは何か
(1)最も重い罪
日本の法律では、
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外患誘致罪:死刑のみ
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内乱罪:死刑または無期懲役
が最も重い罪とされています。
(2)十字架刑の背景
十字架刑はペルシャで始まり、ギリシャでは奴隷の処刑に用いられました。死因は窒息死であり、長く苦しませることができる残酷な刑でした。
キケロはこれを「ローマで最も残酷な処刑方法」と呼びました。ローマ市民には適用されず、国家転覆などの重罪人にのみ行われました。
イエスの罪状は「ユダヤ人の王」であり、これはローマにとって内乱罪にあたるものでした。
本来ユダヤの処刑方法は石打ちでしたが、この年、サンヘドリンには死刑執行の権限がありませんでした。そのため、ローマによる十字架刑へと進められたのです。
2.イエスの裁判の流れ
(1)元大祭司アンナスの尋問
深夜2〜3時ごろ、イエスはアンナスの前に連れて行かれました。アンナスは大きな影響力を持ち続けていた人物です。
イエスは教えについて問われましたが、「わたしが教えた人々に聞きなさい」と答えられました。
(2)大祭司カヤパの裁判
早朝5〜6時ごろ、祭司・長老・律法学者たちが集まり裁判が行われました。
「あなたはキリストか」と問われたイエスは、
「神の右の座に座っているのを見るだろう」
と答えられました。
これを冒涜罪として彼らは死刑を決定しました。
(3)総督ピラトの尋問
ピラトはローマ法によって判断する必要がありました。
「あなたはユダヤ人の王か」という問いは、内乱罪にあたるかどうかを確認するためでした。
しかしピラトはイエスに罪を認めることができませんでした。イエスは「上から与えられなければ、あなたには何の権威もない」と語られました。
ピラトはイエスをヘロデへ送りました。
(4)領主ヘロデ・アンティパスの尋問
ヘロデは奇跡を見たがりましたが、イエスは何も答えられませんでした。
ヘロデと兵士たちはイエスを侮辱し、豪華な服を着せてからピラトのもとへ送り返しました。
(5)再びピラトの裁判
ピラトはイエスを無罪にしたいと考えました。妻の夢もあり、ヘロデも罪を見つけませんでした。
そこでバラバとイエスを並べ、民衆に選ばせました。しかし人々はバラバの釈放とイエスの十字架刑を求めました。
イエスは鞭打たれ、茨の冠と紫の衣を着せられ、十字架へと向かわれました。
(6)十字架刑
イエスは十字架を背負い、手と足に釘を打たれました。
午前9時に十字架にかけられ、ユダヤ人、ローマ兵、そして同じ死刑囚からも罵られました。
(7)イエスの最後
午後3時ごろ、イエスは叫ばれました。
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
これは詩篇22篇の成就でした。
イエスは大声を出して息を引き取られました。つまり、イエスは自ら死の瞬間を選ばれたのです。
そのとき聖殿の幕が裂けました。
私たちが神に受け入れられるために、イエスは神に捨てられたのです。
3.適用 ― 十字架から何を学ぶか
(1)無罪なのに苦しみを受けたイエス
これは悪魔の策略でした。
ユダ、祭司長、長老、パリサイ人、ヘロデが利用され、証人もない夜の裁判が進められました。
ローマ総督も無罪だと知りながら民衆を恐れ、バラバを解放しました。
イエスは、自分が愛し救おうとした民に裏切られて十字架につかれました。
(2)神の愛のために十字架を受け入れたイエス
神の計画は、罪人である人間を愛し、受け入れることでした。
そのために御子イエスが犠牲となられました。
イエスは父の愛を知り、人々を愛したゆえに、罪を負い、死刑を受け入れました。
解放されたバラバは私たちの姿を象徴しています。
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バラバ=「父の息子」
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イエス=「主は救い」
形だけの「父の息子」である私たちを自由にするために、真のイエスが有罪となったのです。
(3)十字架を受け入れ、伝えること
本来十字架にかかるべきだったのは私たちです。
しかしイエスは私たちを救うために十字架を選ばれました。
では、あなたはどうしますか。
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キリストのように神の愛を知り、人々を救うために生きるのか。
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それともバラバのように、その愛を利用して自分のために生きるのか。
愛とは、受けるだけで終わるものではありません。
結び
十字架は、人にとっては無意味に見えるかもしれません。
しかし私たちにとっては、救い・愛・赦しの象徴です。
イエスの望みは、私たちがこの十字架を受け入れ、一人でも多くの人に伝えることです。


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