20240930早天祈祷会
聖書:士師記11:32–34
題目:主が与えた勝利にヒビを与えるもの
賛美:494番
場所:중앙성서교회
「エフタはアンモンの人々のところに進んで行って、彼らと戦ったが、主は彼らをエフタの手に渡されたので、アロエルからミンニテの附近まで二十の町を撃ち敗り、アベル・ケラミムに至るまで非常に多くの人を殺した。こうしてアンモンの人々はイスラエルの人々の前に攻め伏せられた。やがてエフタはミヅパに帰り、自分の家に来ると、彼の娘が鼓をもち、舞い踊って彼を出迎えた。彼女はエフタのひとり子で、ほかに男子も女子もなかった。」
(士師記11:32–34)
1.本文解説
① 主がアンモンの人々をエフタの手に渡された
聖書は、まず勝利の主体が主であることを明確に語っています。
エフタはアロエルからミンニテの付近まで、二十の町を打ち破りました。
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アロエル:「破滅」という意味。もともとアモリ人の王シホンの領土であり、アンモン人の領土でもありました。
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ミンニテ:「配布」という意味を持ち、ヨルダン川東側のアンモン人の領土で、詳細は不明です。
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アベル・ケラミム:「ぶどう畑の牧草地」を意味します。
多くの人が殺され、農作物にも大きな打撃が与えられました。
しかし、この勝利はエフタの力ではなく、主によるイスラエルの勝利です。
エフタは勇士でしたが、主によって勝利したことを忘れてはなりません。
② アンモン人は攻め伏せられた
「攻め伏せられた」と訳されている言葉は、ヘブライ語では「謙遜になった」「ひざまずいた」という意味を持ちます。
それは、逆らう力も心も失った状態を指します。
しかしそれは、イスラエルが強かったからではなく、神様が働かれた結果であることを忘れてはなりません。
③ 勝利の後に訪れた出来事
エフタは喜びながらミヅパへ帰り、自分の家に到着します。
すると、ひとり娘が太鼓を持ち、踊りながら喜んで迎えました。
ここで問題となるのは、エフタが勝利の前に立てた誓いです。
「勝利を与えてくだされば、最初に迎えたものをささげます。」
本来しなくてもよかった誓いが、ここで大きな問題として現れます。
2.新約聖書からの教え
① 主が選ばれる
エフタが士師に選ばれた理由は、神様の憐れみによるものでした。
士師は資質や立場によって選ばれるのではありません。極端に言えば、信仰の立派さですら決定的な理由ではありません。
偶像崇拝をしていたアブラハムが選ばれたのも、主の憐れみによります。
アブラハムの勝利も主の恵みによるものです。
不貞なイスラエルを神様が何度も救われたのも、アブラハム契約を守られる神の優しさによるものでした。
パリサイ人はイエスを傲慢だと見ましたが、そうではありません。
イエスは神の選びを大切にし、神に従われました。
同じように、牧師が選ばれるのも人柄の良さではなく、神の憐れみによるのです。
② 主が働かれる
エフタの勝利は神の働きによるものでした。
説教を通して人々が主を思うようになるのも、主が働かれているからです。
イエスご自身も、自分を神の通路だと認めておられました。
人々がイエスを称賛しても、それは神が教えてくださっているのだと言われました。
③ 私たちは従うだけである
私たちは、主の選びを受け入れ、主が働かれることについていくだけです。
自分の主張を出して誓うことは、傲慢につながります。
主の計画を認め、自分の計画を下ろす必要があります。
イエスは、人々が望んだメシア像には従われませんでした。
人々が望むタイミングにも従われませんでした。
もし人に認められたいという思いが強ければ、人に従い、神に逆らいやすくなります。
イエスは、母や兄弟が「今だ」と言っても、「まだその時ではない」と断られました。
主は良いものを与えてくださいますが、その祝福を壊してしまうのは、主でも他人でもなく、自分自身です。
主から与えられるものを十分に喜ぶためには、
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傲慢を下ろすこと
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誓いに頼らないこと
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主により頼むこと
が必要です。
弟子たちが経験した失望も、神の問題ではなく自分たちの問題でした。
3.まとめ
① 主が選ばれる。
② 主が働かれる。
③ 主の結果を見る。私たちはそれを受け入れ、ついていくだけである。
主が与えてくださる勝利にヒビを入れるのは、外側の敵ではなく、自分自身の傲慢や自分中心の思いです。
だからこそ、誓いに頼るのではなく、
主の選びと働きを信頼して歩む者となりましょう。


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