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エフライムの傲慢(士師記 12:2-3)
고요한 2026-02-18 추천 0 댓글 0 조회 16

 

20241006 早天祈祷会

聖書:士師記 12:2-3
題目:エフライムの傲慢

賛美:478

説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회

「エフタは彼らに言った、『かつてわたしとわたしの民がアンモンの人々と大いに争ったとき、あなたがたを呼んだが、あなたがたはわたしを彼らの手から救ってくれませんでした。あなたがたが救ってくれないのを見たから、わたしは命がけでアンモンの人々のところへ攻めて行きますと、主は彼らをわたしの手にわたされたのです。どうしてあなたがたは、きょう、わたしのところに上ってきて、わたしと戦おうとするのですか』。」


序論

アンモンとの戦いに勝利した後、イスラエルの中で新たな争いが起こります。
それは外敵との戦いではなく、内側の「高慢」との戦いでした。

エフライム族の心にあったものは何だったのでしょうか。
そして私たちの心の中には、同じものが潜んでいないでしょうか。


1.本文解説 ― エフライムの高慢

① エフライム族のプライド

エフライム族はエフタに向かって、「なぜ自分たちを呼ばなかったのか」と怒り、「家ごと焼き払う」とまで言いました。

しかしエフタは、「あなたがたを呼んだが、来なかった。だから私は命懸けで戦ったのだ」と答えます。

エフライム族はヨセフ族の一部であり(マナセ族+エフライム族)、自分たちは神の祝福を最も受けた部族だという強い自負を持っていました。良い土地も与えられていました。

その誇りが、怒りへと変わったのです。


② エフライム族の過去

エフライム族はこれまでも同じ態度を取ってきました。

ヨシュアに対しては、「なぜ割り当てが一つだけなのか」と不満を言いました。しかしヨシュアは、「祝福されて民が多いのなら、自分で森を切り開きなさい」と答えました。

またギデオンにも、「なぜミデアン人との戦いに呼ばなかったのか」と不満を言いました。ギデオンはへりくだって、「私のしたことは、あなた方に比べれば小さい」と答えました。

自分がいつも中心であるという考えは、必ず他人との衝突を引き起こします。事実よりも「自分がどう扱われたか」が重要になるため、話が通じなくなります。


③ エフタの告白

エフタは言いました。「主がアンモン人を私の手に渡された」と。

すべては主がなされたことです。誰も誇ることはできません。

誰も自分を立ててくれないと怒る人がいます。しかし主の計画の中では、私がいてもいなくても主の御業は進みます。そこに参与させていただけるなら感謝であり、参与できなかったとしても文句は言えません。

神の秩序の中で相手を立てる礼儀は大切です。しかし自分を高めるための礼儀を求めるなら、それは高慢になります。


2.新約聖書からの教え

① 私たちも神を無視して生きてきた

ローマ人への手紙 5章6節にはこうあります。

「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。」

私たちもかつては神様を無視して生きてきました。それでもイエスは私たちのために死んでくださいました。

人に無視されたとき、自分もこれまで神様をどれほど無視してきたかを思い起こしましょう。

人を無視する人は、困難の中にあるか、まだ神様を知らない人です。怒るのではなく、憐れむべきです。

イエスは多くの奇跡を行ったにもかかわらず、人々に拒まれ、十字架にかけられました。それでもイエスは彼らの赦しを祈られました。


② 自分の考えをいつでも下ろす

ピリピ人への手紙 2章13節は語ります。

「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」

この世の人は、自分の考え、自分の力、自分の栄光のために働きます。
しかし神の人は、神の考え、神の力、神の栄光のために働きます。

使命も心も力も、与えるのは神様です。実現させるのも神様です。自分の計画が叶わないとき、それは努力不足以上に、神のご計画に合わないからかもしれません。神の時ではない、あるいは自分の準備が整っていないのかもしれません。

イエスも十字架を避けたいという思いを持たれました。しかし祈りを通して、ご自身の思いを下ろし、父の御心に従われました。


③ 低くされた分だけ、神が高くする

ルカによる福音書 18章14節にはこうあります。

「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。」

自分で自分を高める者を、神は高くされません。自らを低くし、人に仕える者を神は高くされます。

教会の職分が高くなるほど、より低く仕える存在となるべきです。人に低く見られても、寂しがる必要はありません。その評価は神様がなさいます。

イエスは不当な裁判で罵られ、叩かれながらも抵抗されませんでした。従順に十字架の道を歩み抜かれたからこそ、神はイエスを高く上げられました。


3.まとめ

① 私たちはかつて神様を無視して生きてきたことを覚えましょう。
② 自分の考えをいつでも下ろせるよう備えましょう。
③ 低く見られた分だけ、神様が高くしてくださると信じましょう。

人に無視されて怒るとき、私たちの中にもエフライムの高慢があるかもしれません。

自分の考えを下ろし、無視する人をも憐れむ心を持つ者となりましょう。​ 

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