20241013 青年部礼拝
聖書:ヨハネ20:24-29
題目:見ないで受け入れる信仰
賛美:믿음과 삶
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書本文
「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に『わたしたちは主にお目にかかった』と言うと、トマスは彼らに言った、『わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない』。
八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って『安かれ』と言われた。それからトマスに言われた、『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい』。
トマスはイエスに答えて言った、『わが主よ、わが神よ』。イエスは彼に言われた、『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである』。」
序論
トマスは他の弟子たちと同じように、復活の知らせを人から聞いただけでは受け入れることができませんでした。
しかし、自分の目で見て初めて受け入れました。
けれどもイエスは言われました。
「見ないで信じる者は幸いである。」
真の信仰とは、目で見て確認することではなく、神様の言葉が必ず成就することを信頼することです。
自分の目や知識ではなく、神様の言葉に頼る信仰。
そこに本当の平安があります。
1.「知る」とはどういうことか
① アイドルオタクは本当にアイドルを知っているのか
アイドルのファンは、友人以上に多くの情報を知っており、お金も時間も注ぎ込みます。
しかし、アイドル本人から見れば、その人は知らない他人です。
なぜなら、内側を知らないからです。
外側の情報から自分の都合のよい内面を想像し、押し付けています。
だからスキャンダルが出ると失望して離れていきます。
→ それは相手を信じているのではなく、自分を信じているのです。
② パリサイ人と律法学者も同じだった
彼らは誰よりも神の知識を持っていました。
人生をかけて学んでいました。
しかしイエスは、彼らは神を知らないと言われました。
神の内側を知らなかったからです。
彼らもまた、自分が作り上げた神像を信じていただけでした。
だからイエスを受け入れられず、十字架につけました。
→ 信じるとは、目に見える情報だけで判断しないことです。
2.トマスの問題点
① なぜ「信じない者」と言われたのか
イエスは言われました。
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
トマスは多くの弟子たちの証言を信じませんでした。
しかし問題は、人の話を疑ったことではありません。
問題は、イエスが生前語っていた言葉が実際に起きているのに信じなかったことです。
トマスはイエスの言葉ではなく、自分の理解を信じていました。
見て信じるのは確認です。
見なくても信じることが信仰です。
→ 信仰は、見えないものに基づく判断です。
3.ヘブル書が語る信仰
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」(ヘブル11:1)
① 「望んでいる事がら」とは何か
それは自分の願いではなく、神様の願いです。
もし自分の願いが中心なら、それは神を利用しているだけです。
信仰とは、神様の望みを中心に置くことです。
② 「見ていない事実を確認する」とは
神様の計画の全貌はまだ見えません。
しかし必ず成就すると信じることです。
アブラハムは自分の時代に完成を見ませんでしたが、約束の成就を信じました。
結果を見てから信じるのは信仰ではありません。
③ 祈るときの注意
「祈りを積み重ねれば願いが叶う」という考えは危険です。
祈りとは対話であり、願いを押し付けることではありません。
私たちは自己満足のために祈るのではなく、神の国の平和のために祈るのです。
→ 信仰とは、神の望みが必ず成就すると信じることです。
4.ペテロが語る信仰
「あなたがたは、イエスを見たことはないが、彼を愛している。」(Ⅰペテロ1:8)
① なぜ見ていないのに愛せるのか
ペテロは答えます。
それは魂が救われているからです。
信仰とは、イエスの人格を知り、望みを置くことです。
私たちは聖書を通してイエスを知ることができます。
だから見たことがなくても愛せます。
疲れていても、苦しくても、そこにイエスによる喜びがあります。
何かを手に入れて喜ぶのではなく、イエスご自身を喜ぶ。
これが信仰です。
5.まとめ ― 信仰とは何か
① 見える外側ではなく、見えない内側を見て受け入れること。
② 自分の望みではなく、神様の望みに焦点を合わせること。
③ 神様が与える物ではなく、神様の人格そのものを喜ぶこと。
見ないで受け入れる信仰こそ、真の信仰です。
そしてその信仰の中に、真の平安があります。


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