聖書:使徒行伝1:1-5
題目:準備して待つ
賛美:259、260
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
聖書本文
“テオピロよ、わたしは先に第一巻を著わして、イエスが行い、また教えはじめてから、お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。 そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、『エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう』。”
―― 使徒行伝 1:1–5
1.本文解説
① テオピロとは誰か
ルカは「テオピロよ」と語りかけます。
テオピロ(ギリシャ語:セオフィロス)とは、「神の友」「神に愛された者」「神を愛する者」という意味を持つ名前です。造語的な名称であり、特定の人物を称号で呼んでいると考えられています。
彼はローマの高官でした。
ルカの福音書1章3節では「閣下(クラティスタス)」と呼ばれています。これはローマの支配的地位に与えられる称号です。
多神教国家ローマの中で、一神教を信じるユダヤ人は目立つ存在でした。その中でテオピロは、公に信仰を持つことが難しい立場にあったと考えられます。
しかし使徒行伝では「閣下」という呼び名が消えています。
これは、上下関係ではなく、キリストにあって共に立つ関係になったことを示しているとも考えられます。
ルカは第一巻(福音書)によって一人の恩人に理解してもらい、そして第二巻を書き送ったのです。
② 復活後40日間の意味
イエスは十字架で死なれましたが、復活して生きていることを確かな証拠によって示されました。
墓の前でマグダラのマリアに、
エマオへの道でクレオパに、
エルサレムで弟子たちとトマスに現れました。
そして40日間、神の国のことを語られました。
なぜ神の国のことを語られたのでしょうか。
それは、弟子たちの思いを地上の王国から、神の国へと整えるためでした。復活を体験しても、彼らの理解はまだ十分ではありませんでした。だからこそ、時間をかけて準備されたのです。
③ 父の約束を待て
イエスは食事を共にしている時に命じられました。
「エルサレムから離れず、父の約束を待て。」
弟子たちが努力すれば宣教が成功するのではありません。
聖霊が与えられなければ始まらないのです。
ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、彼らは聖霊によるバプテスマを受けることになります。
やがてペンテコステの日に聖霊が降り、教会が始まりました。教会を通した宣教が始まったのです。
2.適用
① 主の時を待つこと
ルカは、福音書によってテオピロが変えられるのを待ちました。その後に使徒行伝を送りました。
イエスも40日間、神の国を教えました。その準備の後に聖霊が送られました。
イエスはすぐに聖霊を与えず、「父の約束を待て」と言われました。
宣教も教会も、人の力ではなく、神の力と神のタイミングによるのです。
② イエスと神の国を学んで待つ
テオピロの変化は、イエスについて知ることによって起こりました。
イエスの教えは、神の国が来たという宣言でした。
イエスは聖霊が与えられる前に、弟子たちに神の国を教えました。
その間に、ペテロや弟子たちは肉的な考えから霊的な考えへと変えられていきました。
待つとは、ただ時間が過ぎるのを待つことではありません。
聖書を学びながら待つことです。
新しいことを始めることではなく、イエスから始めることです。
③ 主の約束を待つ教会
この教会のリバイバルの秘訣は何でしょうか。
新しい企画や人目を引く方法ではありません。
有名人や専門家の力でもありません。
主の言葉と神の国を、一人一人に教えることです。
ルカがテオピロに伝えたように、イエスが弟子たちに教えたように。
私たちが一人一人をイエスに人格的に出会わせること。
それが教会の使命です。
もちろん、すべてがうまくいくわけではありません。
すべての人の救いが神の御心ですが、残された者が救われるという現実も聖書は教えています。
建物を建てる以上に、人をキリスト者として立てること。
それが私たちのすべきことです。
結論
「準備して待つ。」
それは何もしないことではありません。
神の国を学び、主の約束を信じ、主の時を待つことです。
人の計画ではなく、神の計画を。
人の力ではなく、聖霊の力を。
主の約束を信じ、準備して待つ一週間となりますように。
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