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主の栄光を見る場所(使徒行伝1:9–12)
고요한 2026-02-20 추천 0 댓글 0 조회 15

 

20241025早天祈祷会

聖書:使徒行伝1:9–12
題目:主の栄光を見る場所

賛美:260261

説教:高曜翰 副牧師

場所:大阪中央教会


1.本文解説

(1)天に上げられた主

「こう言い終わると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。」

主が「こう言い終わると」とありますが、これは直前の御言葉、すなわち「あなたがたは聖霊の力を受けて、地の果てまでわたしの証人となる」という使命(使徒1:8)を指しています。主は使命を託し終えられてから、天に上げられました。

弟子たちの見ている前で天に上げられたということは、主が地上でのご自分の役目を完全に終えられたことを意味します。救いの業は成し遂げられました。だからこそ、地上での働きをやり直すために再び来られることはありません。再臨はやり直しではなく、完成のためです。

さらに「雲に迎えられ」とあります。この雲は単なる自然現象ではありません。主は大祭司カヤパの前で、「人の子が力ある方の右に座し、天の雲に乗って来るのを見る」と語られました(マタイによる福音書26:64)。
旧約においても、幕屋や神殿に満ちた雲は神の臨在と栄光のしるしでした。雲は神の栄光を表しています。主は栄光のうちに天に上げられたのです。


(2)再臨の約束

主が上って行かれるとき、弟子たちが天を見つめていると、白い衣を着た二人の人がそばに立って言いました。
「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。このイエスは、あなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

白い衣を着た二人は天使です。天使までもが、主の再臨をはっきりと証言しています。

ここで大切なのは、神の国は心の中だけのものではないということです。「神の国は地上では実現しない、天国だけのものだ」という考えは聖書的ではありません。主は実際に、目に見えるかたちで再び来られます。

主はかつてオリブ山でこう語られました(マタイによる福音書24:23–27)。
「キリストがここにいる、あそこにいると言っても信じてはならない。人の子が来るのは稲妻のようである。」
再臨は隠れた出来事ではなく、明らかな出来事です。

また預言者ゼカリヤも語りました(ゼカリヤ書14:4)。
その日、主の足はエルサレムの東にあるオリーブ山の上に立つ、と。

「同じ有様で来られる」とは、罪によって不完全になった体ではなく、復活の栄光の体で来られるということです。神の国にふさわしい完全な体で来られます。


(3)オリブ山からエルサレムへ

その後、弟子たちはオリブ山からエルサレムへ帰りました。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにありました。

安息日に移動できる距離は、契約の箱と宿営地との距離(約2000キュビト、ヨシュア3:4)から考えられ、およそ900メートル、歩いて15分ほどとされています。つまり、主が天に上げられたのは安息日であった可能性が高いのです。

オリブ山とエルサレムは非常に近い距離です。しかし弟子たちは、自分の判断ではなく、主の言葉に従ってその短い距離を忠実に歩みました。エルサレムは彼らにとって決して安全な場所ではありませんでした。それでも危険を顧みず戻って行ったのです。

それは、彼らが主の教えによって霊的に成長していた証拠でした。


2.適用

(1)完成させるのは主である

主は教会を通して働かれます。しかし、神の国を完成させるのは主ご自身です。

主は役目を終えて天に上げられました。私たちが足りない存在だからといって、何度も降りて来られるわけではありません。
私たちは弟子たちのように、福音を伝える使命を任されています。そしてその働きは、聖霊の力によってなされます。

主が再び来られるとき、それが神の国の完成の時です。私たちの弱さによって神の国が不完全になったり、遅れたりすることはありません。神の国は、主の再臨によって実現します。

だからこそ私たちは、主の計画に参与できることを感謝するのです。


(2)忠実に働く弟子として生きる

弟子たちはオリブ山からエルサレムへ戻りました。短い距離を怠けることなく歩み、聖霊を受けるために従いました。

彼らはエルサレムで主を見、ガリラヤで復活の主に会い、オリブ山で昇天を見ました。そしてエルサレムで聖霊を受けることになります。

主の栄光は、特別な場所だけに現れるのではありません。主が定められた場所に、従順に立つところに現れます。

大阪中央教会が今この場所に存在しているのは偶然ではありません。この場所で主の栄光が現れるために存在しています。もし将来移動することがあったとしても、私たちは主が呼ばれる場所に行くだけです。

大切なのは、「今、自分が立っている場所」が主の呼ばれた場所であると認めることです。


結び

主は栄光のうちに天に上げられました。そして同じ栄光の姿で再び来られます。

私たちは天を見上げ続ける者ではなく、約束を信じて歩む者です。 

今日、主が呼ばれるその場所へ行きましょう。そして、自分が立っているその場所が主の栄光の現れる場所となるように生きていきましょう。​ 

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