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合理主義との衝突(使徒行伝4:1–4)
고요한 2026-02-23 추천 0 댓글 0 조회 9

 

20241213早天祈祷会

聖書:使徒行伝4:1–4
題目:合理主義との衝突
賛美:382、400

説教:高曜翰 副牧師

場所:大阪中央教会


Ⅰ.本文解説

1.宗教指導者たちの介入と逮捕

ペテロとヨハネが人々に語っている最中に、祭司たち、宮守がしら、そしてサドカイ人たちがやって来て、二人を捕らえました。

まず「祭司たち」についてです。歴史家ヨセフスによると、当時およそ2万人の祭司が存在していたと言われています。彼らは24の組に分かれて奉仕しており、それぞれの組の長である祭司長は24人いました。

「宮守がしら」は、神殿を守るレビ族の兵士たちの長であり、いわば神殿警察の長官にあたる人物です。祭司長に次ぐ権威を持つ重要な立場でした。

「サドカイ人たち」は、祭司階級や宮守がしらを含む、親ローマ的な貴族階級でした。彼らは民衆の支持をほとんど持たず、モーセ五書のみを正典として認め、パリサイ派に反発していました。また、天使や悪霊の存在、そして死者の復活を否定していました。目に見えるものだけを現実とする立場であり、合理主義的不信仰の象徴とも言える存在です。

2.復活の宣教に対する苛立ちと留置

彼らが苛立ったのは、使徒たちが「イエスにあって死者の復活がある」と教えていたからでした。

苛立ちの理由は三つ考えられます。
第一に、博学を誇る自分たちを差し置いて、無学な者たちが神殿で教えていたこと。
第二に、自分たちの神学に真っ向から反する「死者の復活」を宣べ伝えていたこと。
第三に、イエスご自身に対しては主にパリサイ人が対立していましたが、弟子たちに対してはサドカイ人が強く対立するようになったことです。

彼らは使徒たちを逮捕し、翌朝まで留置しました。すでに夕方であり、ユダヤの律法では日没後の裁判は禁止されていたためです。翌朝、サンヘドリンで裁判を行う予定でした(イエスの裁判の際にはこの原則は無視されました)。

一晩牢に入れることで、使徒たちを精神的に弱らせ、また周囲の人々を恐れさせる意図もあったと考えられます。

3.それでも広がる福音

しかし、御言葉を聞いて信じた人々は増え続け、男性だけで五千人になりました。

当時のエルサレムの人口は推定2万5千人から25万人と言われています。数千人が神殿でペテロの話を聞いていたとすれば、これは決して無視できない規模です。少なくとも2%以上の人々がイエス・キリストを受け入れたことになります。

彼らは、合理主義から見れば「非合理的」と思われるイエスの復活を受け入れました。指導者が逮捕されるという圧力の中でも、なお復活を信じたのです。


Ⅱ.適用

1.何に権威を置くのか

ペテロとヨハネは、復活の福音を伝えたゆえに合理主義と衝突しました。私たちの社会、とりわけ仏教的背景の強い社会においても、「復活」のメッセージは伝道の妨げになることがあります。

しかし問題は、何に最終的な権威を置くかです。

合理主義は、聖書よりも人間の理性に権威を置きます。
神秘主義は、聖書よりも個人の経験に権威を置きます。
ローマ・カトリック教会は、聖書よりも教会の伝統に重きを置きます。
カルトは、聖書以外の聖典に権威を置きます。

復活を信じ、それを語ることは、聖書に権威を置くという告白そのものです。私たちは聖書に第一の権威を置かなければなりません。

2.御言葉は人を大胆にする

御言葉を聞くことで、人は聖書に権威を置くようになります。

ペテロとヨハネは、イエスに学び、聖書に立つ者となりました。五千人の人々も、彼らの語る御言葉を通して聖書に立つ者となったのです。使徒たちが逮捕される姿を見ても、彼らは恐れずに信じました。

聖書に権威を置く者は大胆になります。それは自分に力があるからではなく、神が共におられるからです。神の言葉には力があります。「恐れるな」という御言葉は、今も私たちを支えます。

ペテロとヨハネは、サドカイ人の本拠地である神殿で復活を語りました。それは、神の言葉に対する確信があったからです。

3.復活の福音を必要とする人々

使徒たちは逮捕されましたが、五千人が信じました。牢に入れるという脅しは、福音の前では無力でした。

人々は生活の安全以上に、魂の渇きを満たす福音を求めていました。理性では満たされない渇きがあります。たとえばアクション映画を観た直後の高揚感は一時的ですが、すぐに消えてしまいます。

合理主義や理性では、魂の渇きを完全に満たすことはできません。イエス・キリストだけが、私たちの魂を満たすことができるのです。


Ⅲ.まとめ

第一に、私たちは聖書に最も高い権威を置いているでしょうか。
第二に、御言葉を聞くことで、人は聖書に立つ者へと変えられます。
第三に、復活の福音を必要としている人々がいます。

どのような状況にあっても、私たちは聖書に第一の権威を置き、福音を大胆に宣べ伝えていきましょう。​ 

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