20241224早天祈祷会
聖書:使徒行伝5:1–6
題目:アナニヤの罪の裁き
賛美:214、215
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
Ⅰ.本文解説
① アナニヤとサッピラの行為
アナニヤという人が、妻サッピラと共に財産(土地)を売り、その代金の一部を自分たちのために取り分け、残りを献金として使徒たちの足もとに置きました。
直前の箇所では、バルナバが土地を売り、その代金をすべて献金し、人々から称賛を受けていました。アナニヤはそのことを聞き、自分も同じようにしようと思ったのです。
ここで使われている「ごまかす」という意味の言葉(ギリシャ語:ノスフィゾー)は、「自分のものにするために、こっそり取り分ける」という意味があります。これは旧約聖書ヨシュア記7章で、アカンが神のものを盗み取った時と同じ意味合いの言葉です。
アナニヤは、本来神様のためにささげると決めたものを惜しく思い、自分のものにしてしまいました。
② ペテロの指摘 ― 聖霊を欺く罪
ペテロは言いました。
「どうしてサタンがあなたの心を満たし、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
このことは神様がペテロに示されたものでした。
「サタンに心を奪われた」とは、アナニヤの人格と心がサタンの支配を受けたという意味です。代金の一部を残したこと自体が問題なのではなく、それを隠し、すべてを献げたかのように装ったことが、聖霊を欺く行為だったのです。
財産はもともとアナニヤのものであり、売った後のお金も彼のものでした。もし「これは一部です」と正直に言って献金していれば、何の問題もありませんでした。しかし彼は、すべてを献げたと偽りました。
③ アナニヤの死と人々の恐れ
アナニヤはこの言葉を聞いたとき、倒れて息が絶えました。この出来事を聞いた人々は皆、非常な恐れを抱きました。
「アナニヤ」という名前には「神が与えた」という意味があります。しかし彼はその恵みを正しく理解せず、神を欺く道を選びました。
この出来事によって人々に恐れが生じましたが、それはペテロの責任ではなく、アナニヤ自身の罪の結果でした。
バルナバとの違いは明確です。
バルナバは「売って、持って来て、足もとに置いた」。
アナニヤは「売って、一部を残して、持って来て、足もとに置いた」のです。
Ⅱ.適用 ― アナニヤの罪とは何か
① 嘘をつくこと
アナニヤの第一の罪は、嘘をついたことです。一部を持ってきたにもかかわらず、全部を持ってきたかのように偽りました。
一部を献金すること自体は罪ではありません。しかし嘘をつくことは罪です。神様は真実なお方であり、嘘を嫌われます。どのような状況であっても、人のためであっても、嘘によって神様を喜ばせることはできません。
私たちはどんな場合でも、嘘をやめ、正直に歩む者となりましょう。
② 自分の栄光のため
なぜ彼は嘘をついたのでしょうか。それは、人々からの称賛を受けたかったからです。
もしお金が惜しいのであれば、「一部です」と正直に言えばよかったのです。しかし彼は、神様に喜ばれることよりも、自分が誉められることを優先しました。
自分の栄光のための献金、奉仕、礼拝は、神様を喜ばせることはできません。神様を利用して自分の名誉を得ようとすることをやめましょう。
③ 神様に対する不信
さらに彼の内には、神様への不信がありました。
賞賛を本当に求めるなら、すべてを献げることもできたはずです。しかし彼は一部を残しました。それは、生存の保障を神様ではなく、お金に置いていたからです。
神様ではなく、お金に頼るとき、私たちは神様を喜ばせることができません。真のよりどころは、財産ではなく神様ご自身です。
Ⅲ.まとめ
① 神様は嘘を嫌われます。
自分や人のために嘘をつくことをやめ、神様の前に正直に歩みましょう。
② 神様は自分の栄光のために働くことを喜ばれません。
神様の栄光のために仕えるとき、私たちもまた真の栄光を受けます。
③ 神様以外に頼ることをやめましょう。
お金に頼るなら、私たちもアナニヤのような結果を招きかねません。
お金ではなく、神様だけにより頼んで生きていきましょう。


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