20250211早天祈祷会
聖書:使徒行伝5:25-32
題目:人の言葉か、神の言葉か?
賛美:336、310
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
この箇所では、使徒たちが再逮捕され、裁判にかけられる場面が描かれています。しかし彼らは恐れずに使命を優先しました。ここから、私たちは何を基準に生きるべきかを学ぶことができます。
1. 本文解説
① 使徒たちの再逮捕
牢屋に入れられていたはずの使徒たちが、聖殿で教えているという報告が届きました。再び逮捕されることは目に見えていましたが、使徒たちは自分の安全よりも使命を優先しました。
当時の支持者たちを恐れて、手荒な対応はできませんでした。もし強引に逮捕すれば暴動が起こる可能性があったからです。
② 使徒たちの再裁判
裁判の場で、いくつかの批判がなされました。
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第一の批判は、「あの名によって教えるなと言ったのに、エルサレム中に広まってしまった」というものでした。これは、使徒たちの宣教が成功していることを皮肉にも認めた発言でした。
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第二の批判は、「イエスの血の責任を議会に負わせようとしている」というものでした。かつて彼らはイエスの血の責任を自分たちが負うと言いましたが、後になって後悔していました。
また、使徒たちがどのように牢屋から脱出したのかについては質問されませんでした。恐れていたため、答えを聞きたくなかったのです。
③ 使徒たちの返答(信仰告白)
ペテロをはじめとする使徒たちは答えました。
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「人に従うより、神に従うべきです。」
この言葉は、以前に逮捕されたときにも語られています(4:19)。 -
「あなたがたが木にかけて殺した」という言葉で、責任逃れをしようとする人々を戒めました。
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「イエスは私たちの罪のために死に、神の右に上げられた。使徒も聖霊もその証人である」と告白しました。
これは、使徒たちが自分の考えで語っているのではなく、聖霊によって教えられた真理を証ししていることを意味します。
2. 適用
① 利益ではなく正しいことを選ぼう
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自分の利益だけを考えるなら、再逮捕されない行動を選ぶでしょう。
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しかし使徒たちは、自分の命よりも神様の言葉を優先しました。
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神様の義と真理を求めて生きるなら、神様は使徒たちを守られます。
これは、マタイによる福音書 6章の「神の国と神の義をまず求めなさい」という教えにも通じます。
② 良い言葉ではなく真実を語ろう
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使徒たちは「イエスの血の責任は議会にある」と率直に語りました。
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礼儀や自己保身のために言うべきでないと考える人もいますが、使徒たちは真理を優先しました。
神様は嘘を語られる方ではなく、権威をもって働かれますが、真実を曲げることはありません。
③ 自分が羊であることを認めよう
人間は完全ではありません。どんなに権力や知識があっても、人の言葉は不完全です。
人は感情に左右されやすく、客観的な判断ができないこともあります。嘘であっても褒められれば嬉しく感じてしまうのが人間です。
まず、自分は何もできない羊であることを認めることが大切です。
この関係は、ヨハネによる福音書 10章にある「羊飼いと羊」の関係にも示されています。羊が羊飼いの声を聞くように、私たちも神様の言葉を聞く必要があります。
もし自分が羊であることを認めなければ、神様の言葉を正しく理解することはできません。実際、当時の人々もイエスを悪霊に取り憑かれていると思いましたが、それは自分を羊だと認めていなかったからです。
3. まとめ
「人の言葉か、神の言葉か」を区別して生きましょう。
① 自分の利益ではなく、神様の前に正しいことを選択しましょう。
② 人を気持ちよくさせる言葉ではなく、真実を語りましょう。
③ 聞き分けるために、自分が羊であることを認めましょう。
人の言葉ではなく、神様の言葉を基準にして生きていきましょう。


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