20250212早天祈祷会
聖書: 使徒行伝5:33-42
題目: 迫害が喜びに変わる
賛美: 405、406
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
① サンヘドリンの怒り
使徒たちの証言を聞いた議員たちは、激しい怒りに満たされ、彼らを殺そうと思いました。聖書にある「激しく怒った」という言葉は、心が引き裂かれるほどの怒り(ディアプリーオ)を意味します。
4章では、彼らは癒しのわざが悪霊の力によるものかどうかを問いただしていました。もし悪霊によるものなら、石打ちの刑という法的処理が可能でした。
しかし今回は事情が異なります。問題は「権威への不従順」でした。本来、死刑に相当する罪ではありません。それにもかかわらず、彼らは法を越えて殺そうとしました。怒りが理性を超えていたのです。
② ガマリエルの提案
そのとき、一人の人物が立ち上がりました。パリサイ人ガマリエルです。
彼は国民全体から尊敬されていた律法学者でした。
通常の律法学者は「グラマトゥース(Scribe、律法の教師)」と呼ばれますが、ガマリエルは「ノモディダスカロス(律法の博士)」と呼ばれました。さらに「ラバン(私たちの教師)」、すなわち最初のチーフ・ラビとも称された人物でした。
彼は、使徒たちの扱いに慎重になるべき理由を示しました。
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以前、チゥダ(드다)が400人を率いて革命運動を起こしましたが、殺され、従った者も散らされ、消えてしまいました。
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また、ガリラヤ人ユダも納税に反対して反乱を起こしましたが、滅び、従った者も散らされました。紀元6年ごろ、反乱に従わないユダヤ人は家を焼かれ、牛を奪われるなどの被害もありました。
ガマリエルは言います。
もし使徒たちの働きが人から出たものであれば、自滅するでしょう。
しかし、もし神から出たものであれば、滅ぼすことはできず、神に敵対することになります。
結論は、「放っておくのが最善」というものでした。
ナザレのイエスの運動も、やがて消えるだろうと考えたのです。
しかし実際には消えませんでした。神はガマリエルを用いて、使徒たちを守られたのです。
③ 使徒たちの釈放
議会はガマリエルの助言に従いました。
使徒たちを呼び入れ、むち打った後、「イエスの名によって語ってはならない」と命じて釈放しました。
ガマリエルの助言がなければ、彼らは石打ちで殺されていた可能性もあります。
歴史家ヨセフスによれば、パリサイ派は比較的穏健であり、サドカイ派は残酷でした。今回の処罰は、サンヘドリンの決定に対する不従順への罰でした。
ユダヤのむち打ち
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申命記25:3により、40回までと定められていました(数え間違い防止のため39回)。
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鞭は牛の皮の紐3本でできていました(ローマの鞭にはガラスや骨片が入っていました)。
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上着を裂かれ、胸と背中を露出させられ、胸に13回、背中に26回打たれました。途中で失禁すると刑は終了しました。
このような厳しい刑を受けながらも、使徒たちは喜びながら議会を出て行きました。
なぜなら、御名のために辱めを受けるに値する者とされたことを喜んだからです。
そして彼らは、毎日、宮や家で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けました。迫害によって沈黙することはありませんでした。
2.適用
① 迫害は起こるものである
イエスは言われました。
「わたしが遣わす者は迫害を受ける」(マタイ23:34−35)
イエスご自身だけでなく、イエスが遣わす使者も皆、苦難に遭います。
しかし、むち打たれた使徒たちの中に、不満を言う者は一人もいませんでした。彼らは喜びました。
② しかし神様が守ってくださる
イエスは祈られました。
「彼らを世から取り去るのではなく、悪い者から守ってください」(ヨハネ17:15)
ゲッセマネで、イエスはご自分のためだけでなく、使徒たちのためにも祈られました。
使徒たちが見ていないところで、ガマリエルが立ち上がり、サドカイ派とパリサイ人を説得しました。
神は、私たちの目に見えるところだけでなく、見えないところでも働いておられます。
③ 今の苦労は必ず栄光となる
ペテロは語ります。
「愛する者たち。燃え盛る火の試練を思いがけないことのように驚き怪しむのではなく、むしろキリストの苦しみにあずかれるのだから喜びなさい。キリストの栄光が現れるとき、喜び踊る者となるためである」(1ペテロ4:12−13)
試練は、キリストと共同の相続人となるための準備期間です(ローマ8:17)。
たとえば、試験勉強は苦しいものですが、その先に合格という喜びがあります。同じように、試練の先には必ず栄光があります。
3.まとめ
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迫害は起こるものです。
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しかし神様が守ってくださいます。
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そして今の苦労は、必ず栄光に変わります。
迫害が起こるたびに、その先に大きな喜びが待っていると信じましょう。
主の御名のために辱めを受けることを、喜びへと変えてくださる神を見上げて歩みましょう。


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