過去説教(日本語)

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私たちを見ているイエス様(ヨハネ1:43–51)
고요한 2026-03-01 추천 0 댓글 0 조회 6

​20220219家庭礼拝

聖書:ヨハネ1:43–51
題目:私たちを見ているイエス様
賛美:80、83

説教:高曜翰 副牧師

場所:家庭


1.本文解説

① イエスと出会ったピリポ

イエス様は、洗礼者ヨハネが活動していたヨルダン川の東側のベタニアで弟子を集められました。最初にヨハネとアンデレが弟子となり、アンデレは兄弟ペテロにそのことを伝えました。おそらくヨハネの兄弟ヤコブもこの時に弟子となったと考えられます。

イエス様はガリラヤへ帰る前に、ピリポにも声をかけられました。「わたしに従ってきなさい」と招かれたのです。ピリポはアンデレやペテロと同じベツサイダの出身であり、互いに知り合いであったと考えられます。また、弟子の中で唯一ギリシャ名を持っていることから、彼の父は国際的な感覚を持つ人物だった可能性もあります。


② ピリポに勧められるナタナエル

ピリポはナタナエルに出会い、「私たちは、モーセの律法や預言者の書に書かれている方、ナザレのイエスに会った」と伝えました。ピリポは聖書を通して、預言されていたメシアがイエスであると確信したようです。

しかしナタナエルは、「ナザレから、何の良いものが出ようか」と答えました。これは当時の多くのユダヤ人と同じ反応でした。ナタナエルはガリラヤのカナ出身で、ナザレと同じく田舎町の出身です。人々から特別に注目され、認められるような存在ではありませんでした。

そのように一度は拒絶されたにもかかわらず、ピリポはあきらめずに「来て見なさい」と再び勧めました。その結果、ナタナエルはイエス様に会いに行きました。


③ イエスに認められたナタナエル

イエス様はナタナエルが近づいてくるのをご覧になり、「見よ、あの人こそ、本当のイスラエル人である。その心には偽りがない」と言われました。

ナタナエルは驚いて、「どうして私をご存じなのですか」と尋ねます。
ここで言われた「本当のイスラエル人」とは、神様と共に歩む人のことです。反対に、神様と共に歩まず、自分勝手に生きる人は、偽物のイスラエル人と言えるでしょう。

イエス様は続けて、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見た」と言われました。当時、いちじくの木の下は、神様のことを学び、黙想する場所とされていました(ゼカリヤ3:10、ミカ4:4)。
「いちじくの木の下にいるのを見た」という言葉は、ナタナエルがいつも神様を求め、黙想していたことを見抜いておられた、という意味でもあります。

それを聞いたナタナエルは、「先生、あなたは神の子です。イスラエルの王です」と告白しました。人から見向きもされない自分を、イエス様は見ておられ、その心まで知っていてくださったことに深く感動したのです。


2.適用

① 高慢を下ろそう

ナタナエルがイエス様に出会えたのは、自分の高慢な心を下ろしたからでした。ピリポは聖書を研究し、ナタナエルもいちじくの木の下で黙想していました。しかし、知識そのものがイエス様との出会いをもたらしたのではありません。大切なのは、神様を求める情熱でした。

ナタナエルには情熱がありましたが、同時に卑屈な高慢さもありました。「どうせ自分は…」という思いです。しかし、その心を下ろしたとき、イエス様に出会うことができました。

私たちもまた、「自分なんか」「どうせ無理だ」という思いを持つことがあります。しかしそれも一種の高慢です。その心を手放すとき、神様への道は開かれます。


② イエス様は私たちを見ておられる

ナタナエルはメシアに会いたいと願い、いつもいちじくの木の下で祈っていました。イエス様はその姿を見ておられました。

イエス様は人の心をご覧になるお方です。私たちに近づき、心の扉をたたいてくださいます。しかし、無理やり入ることはなさいません。私たちが心を開く必要があります。

会社での働き、教会での奉仕、家庭での役割など、誰にも認められていないと感じることがあるかもしれません。人は結果の大きさで評価します。しかしイエス様は、その行いの背後にある心をご覧になり、評価してくださるのです。


③ 私たちの一番の理解者はイエス様

イエス様はナタナエルに、「こんなことでわたしを信じるのか。これよりも、もっと大きなことを見るであろう」と言われました。

ナタナエルは、自分の心を理解してくれるイエス様と出会い、心が躍りました。私たちも皆、誰かに認めてもらいたいという思いを持っています。しかし人に完全に理解してもらうことは簡単ではありません。

本当の意味で私たちを理解しておられるのはイエス様です。自分でも気づいていない心の奥底まで、イエス様はご存じです。

私たちは日々、心の中でイエス様と出会うことができます。直接目で見ることはできなくても、イエス様の働きを感じることはできます。たとえば、木が揺れるのを見て風の存在を知るように、私たちはその御業を通して主を知ることができます。

そして私たちには聖書があります。聖書を通して、今も生きて働かれる神様と出会うことができるのです。


3.まとめ

  1. 卑屈な高慢を捨てましょう。
     それはイエス様と出会う妨げになるからです。

  2. イエス様は私たちを見ておられます。
     いつでも私たちを見つめ、待っておられます。

  3. 一番の理解者であるイエス様と出会う日々を送りましょう。

主が私たち一人ひとりを見ておられ、心を知っておられることを覚えつつ、今週も歩んでまいりましょう。​ 

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