20250304家庭礼拝
聖書:ローマ8:5-11
題目:神の人
賛美:151、252
説教:高曜翰 副牧師
場所:家庭
【聖書朗読】
肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思います。肉の思いは死ですが、霊の思いは命と平安です。なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。肉は神の律法に従うことも、従うこともできません。また、肉にある者は神を喜ばせることができません。
しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉の中にいるのではなく、霊の中にいます。キリストの霊を持たない人は、キリストのものではありません。
もしキリストがあなたがたの内におられるなら、体は罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きています。イエスを死人の中からよみがえらせた方の御霊があなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせた方は、あなたがたの内に宿っている御霊によって、死ぬべき体をも生かしてくださいます。
1.本文解説
(1)イエス・キリストを受け入れた人とそうでない人の違い
肉に従うとは、酒や快楽、偶像崇拝、敵意、争い、怒り、快楽追求など、死に至る性質を指します。
これに対して霊に従うとは、愛、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制など、新しく生まれ変わった性質を指します。
肉に従っている間は神に従うことができません。新しく生まれた性質を受け継ぐこともできません。
たとえば、熱心に律法を守るユダヤ教徒、死者に洗礼を授けることを重視するモルモン教徒、輸血を拒否するエホバの証人、土曜日の安息を守るセブンスデー・アドベンチスト、戒律を厳しく守るイスラム教徒などがいます。しかし、外面的な宗教的努力だけでは、人は神のいのちを得ることはできません。
重要なのは、キリストを心に受け入れることです。
(2)キリストを受け入れた人が苦しむ理由
キリストを受け入れた人にも苦しみがあります。
その理由は、肉に従う心と霊に従う心が衝突するからです。
自分の喜びを求めたい思いと、神様の喜びを求めたい思いが戦います。
クリスチャンは、神様の喜びが自分の喜びになることを受け入れなければなりません。
心の苦しみは罰ではなく、聖霊が内におられる証拠でもあります。
(3)キリストを受け入れた人への報い
キリストを受け入れた人に与えられる最大の報いは復活です。
キリストのように死んでもよみがえる希望が与えられます。
私たちの命はすでに自分のものではなく、キリストのものです。
復活以上に大きな報いはありません。
2.適用
(1)私たちはキリストと共に生きる存在です
私たちはもはや、酒や快楽、怒りのままに生きて満足する存在ではありません。
愛の中に生きる存在です。お金、名誉、成功のためだけに生きるのではありません。
心の中におられるキリストを喜ばせるとき、私たちは本当の満足を得ます。
たとえば、妻が喜ぶと夫が満足を感じるように、私たちも主を喜ばせるときに満たされます。
(2)キリストに従うとき実を結び、苦しみから解放されます
私たちの心には自分の考えと神様の考えが同時に入ってきます。
自分の考えに従うと苦しくなりますが、キリストの考えに従うとキリストが喜び、私たちも喜びます。
努力しても報われないと感じるとき、それは能力の問題ではなく、私たちの考えや願いが神様と対立している場合があります。
神様に従うとき、私たちは平安と報いを受けます。
例えるなら、会社で社長の方針に従って働くと安心して働けるようなものです。
自分の考えか神様の考えかを選ぶことは難しい問題ですが、イエス・キリストご自身もその葛藤を経験されました。
神様と対立する生き方をやめ、神様に従う必要があります。
(3)キリストに従って生きるとき、私たちの命は主によって守られます
どんな危険があっても、命はキリストによって守られます。
たとえ命を失ったとしても、復活の希望があります。
私たちの命は神様によって保証されていますから、大胆に生きることができます。
脅かされても振り回されることなく、正しく生きることができます。
私たちの死は人によるのではなく、自分の悪い考えによってもたらされることを覚えなければなりません。
3.まとめ
① 私たちはキリストと共に生きる存在です。
② 苦しみの中でも、キリストに従うと平安が与えられます。
③ 私たちはキリストによって復活の希望を持っています。
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