20250520早天祈祷会
聖書:使徒15:30-35
題目:慰める教会になろう
賛美:429、430
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
① アンテオケ教会に届けられた喜びの知らせ
パウロとバルナバ、そしてユダとシラスはアンテオケ教会に到着しました。
彼らは会衆を集め、エルサレムからの手紙を手渡します。
この「手紙を渡した」というのは、単に渡しただけではなく、公の場で読み上げられたことを意味します。そして人々は、その勧めの言葉を聞いて大いに喜びました。
この勧めの内容とは、異邦人が割礼や律法を守らなくても、恵みによって救われるという福音の核心でした。
では、なぜ人々は喜んだのでしょうか。
- 神に焦点を当てている人は、救いそのもので喜ぶことができます。
- しかし、自分に焦点を当てている人は、「当然だ」と思い、喜びません。
- さらには、食物規定(偶像にささげた物や血など)に対して不満を持つことさえあります。
ここに、信仰の姿勢が現れます。
続いて、ユダとシラスが登場します。彼らは預言者として、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、力づけました。
預言者の役割は、未来を語ることだけではありません。神の言葉によって人を励まし、立ち上がらせることです。
日本語では「説教」というと叱るイメージがありますが、本来の説教は人を責めるためではなく、神の言葉によって励ますためのものです。
② 平安のうちに送り出される教会
しばらく滞在した後、ユダとシラスは兄弟たちから平安の祈りを受けて送り出され、エルサレムへ帰って行きました。
どれくらい滞在したかは分かりません。数週間かもしれませんし、数ヶ月かもしれません。しかし十分に励ました後であったと考えられます。
ここで使われている「平安(エイレーネ)」とは、単なる外面的な平和ではなく、神との関係における平安を意味します。
割礼問題という大きな対立があったにもかかわらず、教会は争いの中ではなく、平安のうちに彼らを送り出しました。
なお34節については、写本によっては存在しません。
「シラスだけはとどまることにした」という一文は、後代に加えられた可能性が高いと考えられています。これはシラスの働きを強調するためであったと見られます。
彼らが派遣元であるエルサレム教会に戻ったことは非常に重要です。
派遣された者が、遣わした教会に戻るというのは、健全な教会の姿です。
③ 御言葉に立ち続けるアンテオケ教会
一方、パウロとバルナバはアンテオケにとどまりました。
彼らは他の多くの人々と共に、主の言葉を教え、福音を宣べ伝え続けました。おそらくそこには、シメオン、ルキオ、マナエンなどの指導者たちも含まれていたでしょう。
ここで重要なのは、彼らが特別な方法やノウハウを用いたわけではないということです。
- 人を集める方法ではない
- 組織運営の技術でもない
ただ一つ、御言葉を教え、福音を宣べ伝え続けたのです。
教会は、御言葉によって強くなる場所です。
時が良くても悪くても、教会の使命は変わりません。
それは、聖書の言葉を教え続け、語り続けることです。
2.適用
① 励ましと喜びに満ちた教会になろう
「しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。」(Ⅰコリント14:3)
私たちもまた、言葉によって人を励ますという意味で、預言者の役割を担うことができます。
私たちの口から出る言葉は、次のようであるべきです。
- 人を励ます言葉
- 人を立て上げる言葉
- 人を慰める言葉
人を攻撃したり、非難したりする言葉は、教会にふさわしくありません。
教会は、自分を高める場所ではなく、他者を高める場所です。
② イエスも人々を慰められた
主イエスもまた、人々を慰め、励まされました。
-
ペテロが水の上で恐れたとき
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と語られました。 -
ラザロの死に悲しむ人々に
「わたしは復活であり、命である」と宣言されました。 -
ゲッセマネで弟子たちに
「目を覚まして祈りなさい」と励まされました。
イエスの言葉は、ただの指摘ではなく、回復へと導く慰めでした。
③ 励ましの先にある使命
私たちは、ただ慰めるだけで終わるのではありません。
- まず励まし
- 次に教え
- そして福音を宣べ伝える
この流れが大切です。
聖徒たちが励まされ、力を得たとき、次の段階へ進むことができます。
そのためには忍耐が必要です。
イエスでさえ、弟子たちを育てるために約3年半待たれました。
3.まとめ
私たちの教会も、
- 励ましに満ち
- 喜びにあふれ
- 御言葉を教え
- 福音を宣べ伝える
そのような教会となりましょう。
慰める教会こそ、神に用いられる教会です。


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