聖書:使徒20:18-24
題目:キリスト者の生き方
賛美:385、386
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
① パウロのエペソでの奉仕の回顧
パウロはまず、エペソにおける自分の奉仕について語り始めます。
約3年にわたる働きを振り返りながら、自分がどのように生きてきたかを長老たちに思い起こさせました。
これは、自分に対する批判や誤解が生じている可能性を考え、
自分の人格と信仰の姿勢を正しく理解してもらうためでもありました。
パウロの奉仕の特徴は次の通りです。
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謙遜をもって仕えた
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涙をもって仕えた(多くの苦しみを経験した)
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迫害の中でも忍耐して仕えた
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必要なことを隠さず、忠実に福音を語った
さらに彼は、公の場でも各家庭でも、あらゆる機会を用いて教えました。
その中心は、「神への悔い改め」と「主イエスへの信仰」です。
つまり救いとは、イエス・キリストを通して父なる神に立ち帰ることです。
そしてその福音は、ユダヤ人にもギリシャ人にも等しく語られました。
② エルサレムへ向かう決意
次にパウロは、これからの計画について語ります。
彼はエルサレムへ向かっていましたが、そこで何が起こるかは分かりませんでした。
ただし、異邦人教会からの献金を届けるため、五旬節までに到着したいと願っていました。
この決断は、自分の考えではなく「御霊に縛られて」なされたものです。
つまり、神の御心であるという確信に基づいていました。
しかし同時に、聖霊は彼に対してこうも示していました。
それは、「投獄と患難が待っている」ということです。
ここで重要なのは、聖霊はエルサレム行きを禁じてはいないという点です。
ただ、そこに困難があることをあらかじめ知らせているのです。
③ パウロの覚悟
このような状況の中で、パウロは自分の決意をはっきりと告白します。
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自分の安全よりも、主に忠実であることを優先する
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人生の目的は長く生きることではない
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与えられた使命を最後まで果たすことこそが重要
そして彼はこう言い切ります。
「使命を果たすことができるなら、この命さえ惜しくない。」
ここに、キリスト者としての生き方の本質が示されています。
2.適用
① 目的に向かって進むのがキリスト者
パウロは、危険があると知りながらもエルサレムへ向かいました。
それは、自分の利益や安全ではなく、神から与えられた目的を最優先にしたからです。
彼は、自分の命が自分のものではなく、キリストのものであると理解していました。
だからこそ、「何を得るか」ではなく、「何を果たすか」に生きたのです。
② イエスの生き方
この生き方は、イエスご自身の姿でもあります。
イエスもまた、危険を知りながらエルサレムに向かわれました。
(ルカ9:51「御顔をエルサレムに向けて進んで行かれた」)
さらにイエスはこう言われました。
「だれもわたしから命を取るのではない。わたしが自分から捨てるのである。」
イエスも、自分の命を神のものとして理解し、
十字架という使命の道を自ら進まれたのです。
③ 私たちへの適用
私たちもまた、キリスト者として同じ生き方へと招かれています。
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目的があるなら、利益や安全がなくても進む
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自分の人生を良くするためにキリストを利用するのではない
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キリストに属する者として、与えられた使命を果たす
大阪中央教会も、このような信仰に立つ教会となる必要があります。
3.まとめ
神の命令には、名誉が伴うこともあれば、危険が伴うこともあります。
しかしキリスト者とは、その両方を喜んで受け入れる存在です。
パウロのように、そしてイエスのように、
ためらうことなく与えられた目的に向かって進みましょう。
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