週報1600号記念信仰文集ー高曜翰
김성수
2020-03-15
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信仰文集 今年の春、私は牧師になることを決心しました。 今、勤めている会社は入社して10年目を迎えました。仕事内容は、工場の防虫・衛生管理の提案です。毎日、奈良県内の様々な工場をまわり、夕方頃に帰社してからは提案書や報告書を作成します。残業時間は長く、家に帰ってからはほとんど寝るだけの毎日です。それでもやりがいを感じながら仕事をしてきました。顧客から頼られることも多くなり、今年は年間目標の数字を半年でクリアすることができました。 しかしながら、仕事量が次第に増えていき、上司との対立も多くなっていく中で、自分は本当にこのままで良いのか、何のために生きているのか、という疑問を次第に持つようになりました。そして、ただ目標の数字のために、精神と肉体を削りながら会社の僕として仕事をしている自分に気付きました。 時々、自分の人生を振り返ってみることがあるのですが、その度に神様が自分を導いて下さったことに気付かされます。人生とはこうも思い通りにならないものか、と思う一方で、神様の導きがなければ今の私はいないのだな、という思いを持っています。これからも今まで通りに会社の僕として働くのは、今まで私を導いて下さった神様に申し訳ない、これからは神様ためにこの身を捧げた仕事がしたいと思うようになりました。他の仕事を模索したり、会社で成果を上げたりする中で、神様に祈りながら半年を過ごしましたが、この気持ちは変わりませんでした。私は今でも、この会社に入ったのは神様の導きによるものだと思って感謝しています。しかし、この仕事を辞め、昨年までは考えなかった牧師への道を開いて下さったのも神様の導きだと信じています。 来年1月に退職します。仕事を辞めた後のことや、これからの勉強のことについて考えると、頭が痛くなります。正直なところ、自分は緊張しやすく話下手で、内向的で、人を惹きつけるような人柄でもありません。しかし、この決心に後悔はありません。小さい頃から牧師である父を見て育ってきたので、牧師にだけはなるまいと思っていたのですが、このような気持ちになるとは自分でも驚きです。マタイ9章37・38節に「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」というイエス様の言葉があります。 今、その働き人に私がなる時が来たのです。これからは、新たな道を示してくださった神様の僕として、残りの人生を歩んでいきたいと思います。 2015年9月20日 高 曜翰 |
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