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絶望する時(列王記上19:9-12)
고영수 2022-07-30 추천 0 댓글 0 조회 439

20220731 日曜午後礼拝(本文)    高曜翰 講道師

聖書:列王記上19:9-12   題目:絶望する時

 

1.絶望の先

 文部科学省のデータによると、2020年の小中高生の自殺者は499人で、原因不明を除いて、進路の悩みと学業不振が主な原因だそうです。そして、高校生を対象とした様々なウェブアンケートの結果を見ても、進路と成績が一番大きな悩みとなっています。「勉強したくてもやる気が出ない」「やっても成績が上がらない」といった失望感と、「誰も分かってくれない」「誰も助けてくれない」といった孤独感は多くの学生が通る道です。私の場合は、いつも母親がそばにいて私の失望感と孤独感を癒してくれました。この失望感と孤独感は、学生だけではなく、多くの人を絶望させ、死に至らしめます。哲学者キルケゴールが「絶望は死に至る病である」といったように、現在、日本では年間2万人以上がこの世に絶望し、自ら命を絶っています。残念ながら、この絶望はクリスチャンにも訪れます。私たちはこの死に至る病をいかに乗り越えるべきかを聖書から学ばなければなりません。

 

2.燃え尽きたエリヤ

 カルメル山で見事な勝利を収めたエリヤでしたが、失望することになります。エリヤの大きな働きにより、イスラエルの民は主なる神が本当の神であることを告白しました(18:39)。国を惑わしていたバアルの預言者たちはいなくなりました(18:40)。そして雨が降るようになりました(18:45)。これほどの事をしても、エリヤはアハブ王への尊敬を忘れませんでした(18:46)。ここまでしたのなら、アハブ王も民もエリヤを認めるべきではないでしょうか。しかしその結果は期待と逆でした。むしろ、王妃イゼベルの強い怒りを買い、さらに強い誓いをもって命を狙われることになりました(19:2)。450人のバアルの預言者にも勇敢に立ち向かったエリヤでしたが、ひとりの女性によって弱り果ててしまいました。そしてユダのベエルシバというユダ王国の最南端まで逃げました(直線距離150km)(19:3)。さらには逃げたのにも関わらず、荒野で死のうとしていました(19:4)。アハブ王もきっと不思議に思っていたかもしれませんが、どんなに力強く見える人間にも弱い部分があるのです。エリヤは神様に信頼していた分、予想通りにいかなかった時の落ち込みが大きかったのかもしれません。そして自分に味方をするものが見当たりません。この失望感と孤独感がエリヤに絶望を与えたのです。

 

3.神様の見守り

 そんなエリヤに対して神様は「起きて食べなさい」(19:5)と声をかけ、食べ物を与えました。人はお腹がすくと悪い考えをしやすくなる(19:6)と言われています。神様は40日間食べ物を与えて、エリヤの行くままに任せました(19:8)。神様は私たちの弱さを知っているお方です。エリヤは、神の山ホレブ(シナイ)にたどり着き、そのほら穴に入りました(19:8-9)。通常は3-4日かかる所を40日かかっています。そこで神様は「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」(19:9)と尋ねました。するとエリヤは、自分が神様のために力を尽くしたが、今は最後の一人である自分が殺されそうである、と答えました。そんなエリヤに神様は、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」と言いました。そしてほら穴の外では、風で山が裂け岩が砕かれ、地震が起こり、火が起こり、そして静かな細い声が聞こえました(19:12)。この出来事は、いかに人の目に立派に見えるものでも、そこに主の臨在があるのではなく、むしろ静寂の中にこそ主の臨在があることを私たちに教えています。エリヤも、その静かな細い声を聴いてほら穴から出てきました。

 

4.神の励まし

 神は再び「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」(19:13)と尋ねました。エリヤは同じ返事をしました。エリヤの心がまだ癒されていない状態です。しかし、神様はエリヤを叱らず、次の命令を与え、ご自分の計画を示されます。それは①ダマスコのハザエル②イスラエルのエヒウ③アベルメホラのエリシャに油を注ぐことです。それはハザエルから逃れる者をエヒウが殺し、エヒウを逃れる者をエリシャが殺すためとあります。まだ詳細は不明ですが、神様の次の御計画があることが分かります。そして、神様はエリヤ以外に7000人の預言者が生きていることを伝えました。エリヤはオバデヤから100人の預言者の話を聞いても自分一人だと思い込んでいました。ここから、エリヤがひとりで全てを背負い込みすぎていたことが分かります。神様はエリヤが持っていた間違った失望感と孤独感を癒されました。神様は私たちがつぶれてしまうような問題を一人に押し付けるような方ではありません。エリヤにオバデヤを送られたように、そしてまたエリヤの後継者としてエリシャを選んだように必ず私たちにも助け手を送ってくださいます。

 

5.イエスと弟子たちの絶望

 イエスも私たちと同じように失望感と孤独感を味わいました。聖書を見ると、イエスは弟子たちの信仰の弱さに度々がっかりしていました。しかし、イエスは継続して弟子たちを訓練していました。それは神の計画を知り、自分に与えられた使命を知っていたからです。また、野獣たちが住む荒野で40日の間、サタンの試みに会っていましたが、天使たちが共にいて支えていました(マルコ1:13)。また、十字架にかかる前のゲッセマネの園で祈っているときは、弟子たちは眠ってしまいましたが、天使たちが共にいて力づけていました(ルカ22:43)。神様は私たちが試練を乗り越えられるように助け手を送ってくださることを忘れてはいけません。弟子たちも同じように失望感を孤独感を感じていました。イエスは十字架にかかって死にましたが、これは人の目には明らかな失敗でした。救う前に死んでしまう人をどうして救世主と呼ぶことができるでしょうか。弟子たちの目から見ても、イエスの3年間の宣教は失敗に終わったように見えました。弟子たちは建物の中に隠れておびえていました。しかし、イエスの死は全て神の計画の中にあった出来事です。弟子たちは復活したイエスに出会い、失望感と孤独感を取り除くことができました。エリヤの戦いも、人の目には何の意味もなかったかのように見えたでしょう。実際にエリヤはそう感じて失望しました。しかし、神様は、次のエリヤのすべきことを伝えることで、全てが神様の計画の中にあることを教えています。そして、風や地震や火を通して、見せかけのものに惑わされてはいけないことを教えています。①ダマスコのハザエル②イスラエルのエヒウ③アベルメホラのエリシャに油を注ぐことは、風や地震や火のように派手に見えますが、その派手さで神の声を見失ってはいけないことも教えています。私たちも、ついつい目に見えて、人がうらやましがるような成功に目を向けようとします。しかし惑わされてはいけません。大切なのは目に見える目先の結果ではなく、神の計画の中を歩んでいるかどうかです。結果は神が造ってくださるものです。

 

6.まとめ

予想に反して、努力が報われない結果を見た時、私たちは失望します。自分の味方が見えない時、孤独を感じます。失望感と孤独感が私たちを絶望に追いやります。しかし、絶望の中にいるからといって、命まで絶とうとはしないでください。また人を頼ろうともしないでください。人に頼るとき、より大きな絶望が私たちを襲うことになります。神様にだけ頼ってください。エリヤやイエス、そして弟子たちに与えたように、神様は私たちにも必ず助け手を与えて下さり、孤独感を癒してくださいます。そして私たちが神の計画の中にいることを悟るとき、私たちは失望感を拭い去ってくれます。私たちは主の力によってまた歩き出すことができるのです。​ 

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