0250223日曜午前礼拝
聖書:創世記 12:1−3
題目:私たちは祝福の基である
内容:アブラハムは、住み慣れた場所を出て行き、神様と出会うことでその存在が変えられました。祝福を求める人生ではなく、祝福を与える人生になったのです。私たちも信仰によってアブラハムの家族となり、存在が変えられました。私たちも祝福の基として、最高の祝福である福音を述べ伝え、人々を救う存在として生きていきましょう。
説教者:高曜翰 副牧師
1。白鳥になったアヒルの子
アンデルセン童話の中に、「みにくいアヒルの子」というお話があります。アヒルの家族の中で、1番遅く生まれた雛は、体が大きくて汚い灰色でした。兄弟からは醜いと虐められ、最初は優しかった母親からも見放されるようになりました。耐えられなくなった雛は家族の元から逃げ出します。他の動物の群れに入ろうとしますが、受け入れてもらえず、追い出されます。誰にも受け入れてもらえず、生きるのに疲れた雛は、美しい白鳥の群れと出会いました。そして、どうせならあの美しい白鳥によって殺されたいと考え、僕を殺して下さい、と白鳥の前に出て行きました。ところが、水面に映った自分を見てみると、汚い灰色ではなく、真っ白な白鳥になっていたのです。その後、白鳥の群れに迎え入れられ、白きれいな鳥として人々に喜ばれ、他の鳥からも尊敬されるようになりました。これまでの苦労を全て許せるほど、その白鳥は幸せになったのです。家族から出て行ったことで、さらなる苦労はしましたが、出て行った先で幸せを受け取り、人々にも幸せを与える存在になりました。
2。祝福の基となったアブラハム
「国を出て、親族と別れ、父の家を離れなさい」。メソポタミアのウルで偶像崇拝しているアブラハムに神様が声をかけました。祝福を得るために偶像崇拝をする家族とその土地を離れなさいということです。しかし、この命令は、これまでウルで得た安定した生活とその将来を手放すことを意味します。そして「あなたのために、私が示す地に行きなさい」と神様は言いました。この時点ではそれがどこか分かりません。慣れ親しんだ土地を離れてどこかも知らない土地に行くのは、危険であり、得になることは何もないように聞こえます。しかし、ヘブル語の原文では、「あなたのために」という神様の言葉があります。「出て行く」ことが、アブラハムにとって良いことだというのです。
そしてアブラハムに3つの祝福を約束をしました。一つ目は「あなたを大いなる国民としよう」です。この「国民」というのはヘブル語では「ゴイ」という単語を使用しています。これは単に人の集まりではなく、政治的な集団を意味しています。つまり、アブラハムを通して国を作ると宣言しているのです。アブラハムの妻は不妊で、子供もいないのにも関わらずです。2つ目は「あなたの名を大きくしよう」です。アブラハムに名声を与えるということです。ネフィリムやニムロデが手にし、神様によって取り上げられた名声を、神様がアブラハムに与えると約束をしています。3つ目は「あなたは祝福の基となる」です。祝福を受けるだけではありません。祝福そのものになるということを宣言しています。
神様はその祝福について説明をしています。「あなたを祝福する者を私は祝福する」と言っています。ヘブル語の原文では「祝福する者」が複数形で書かれています。そして創世記12:1−3だけでも祝福を意味する「バラーク」という単語が5回も出てきています。神様のたくさんの祝福を与えたいという思いを見ることができます。一方で、「あなたを呪う者を私は呪う」とありますが、「呪う者」は単数形で書かれています。正確には、「呪う者」の「呪う」と「私は呪う」の「呪う」は、同じ翻訳をしていますが、単語が違います。正確には「アブラハムを軽く見たり無視する者を、神様が呪う」という意味です。これはアブラハムを馬鹿にするようなものには神様がしっかり報いるが、そのような者がたくさんいるわけではない、と捉えることができます。
そして「地の全てのやからはあなたによって祝福される」と宣言しています。「やから」とはヘブル語原文では「ミスパハ」という単語が使われており、英語ではFamilyと訳されますが、血筋ではなく政治的団体を意味します。つまり、アブラハムに同意する共同体は家族となり、アブラハムを通して祝福を受けるということです。神様はアブラハムの民族を通して、地の全ての民族を祝福することを約束しました。アブラハムは、神様の提案を受け入れ、故郷を旅立つことになります。今日の本文から分かる重要な事実は、神様がイスラエルという民族を選択したのは、イスラエルを通して全人類を救い、祝福するためだということです。
3。祝福の基となった私たち
イスラエルと同様に、私たちが神様に選ばれたのは「祝福の基」という存在になるためです。ペテロは次のように述べています。
“悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。”
ペテロの第一の手紙 3:9 口語訳
行動においても、言葉においても、悪に悪で対抗しないよう語りかけています。復讐は神に任せて、自分は祝福しなさい、ということです。なぜでしょうか?それは私たちが祝福を受けて与える存在だからです。そうしなさいと義務的に強制しているわけではなく、そういう存在だということを伝えているのです。神様が私たちを呼んだのは、祝福を受けるためだけの存在ではなく、祝福を与える存在として生まれ変わらせるためです。私たちが偉いからではなく、ただ神の愛と憐れみによる結果であり、感謝でしかありません。みにくいアヒルの子は、アヒルとして生きていた時は、自分も周りも不幸でした。しかし、白鳥として生き始めた時、自分も周りも幸せになりました。何か特別な行動をしたわけではありません。その存在が幸せを運んだのです。アブラハムも同じです。故郷を離れたアブラハムですが、沢山の失敗をしました。約束の地を離れたり、妻を売り飛ばそうとしたりしました。しかし、神様は祝福を与えました。アブラハム自身が祝福の基だと教えるためです。アブラハムが祝福の基として生きる時、神様はさらにアブラハムを祝福し、周りの家族や人々も祝福されました。私たちが何かをした結果ではなく、祝福の基として生きるとき、自分も人々も祝福を受けるのです。
ただし、「祝福の基」となるためには、出ていくことが必要です。イエスの弟子達も出ていくことで、その存在が変えられました。
“イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。”
マタイによる福音書 4:19 口語訳
弟子たちは今の生活を捨てて、家を出ました。その結果、弟子たちは魚を取る漁師から、人々の魂を救う存在に生まれ変わることができたのです。存在を変えるためには、今の場所から出ていく必要があるのです。みにくいアヒルの子は出ていくことで、白鳥だと気づく機会を得ました。家族と一緒にいたのなら、死ぬまで醜いアヒルの子として生きていたことでしょう。それは本当にもったいないことです。出ていくことで、本当の家族と出会い、虐められる存在から、人々を幸せにする存在に変わったのです。アブラハムも出ていくことで、祝福の基となりました。今の慣れ親しんだ生活を捨てて、神様に従いました。出ていくことで、本当の神様の子供になったのです。そして、祝福をもらいながら生きる存在から、祝福を与える存在に生まれ変わったのです。私たちが社会で死ぬほど努力したからといって、その存在が変わるわけではありません。私たちは、神様の前に出ていくことで、その存在が変えられるのです。
そして、私たちは福音で人を救う存在であることを忘れないでください。イエスは天に昇る前に私たちにこのようにおっしゃいました。
“それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、”
マタイによる福音書 28:19 口語訳
出て行って、宣教しなさいということです。神様は私たちがいてもいなくても、ご自身の計画を完遂できるお方です。私たちが神様の計画に参加しないからといって、神様の計画が遅れたり、失敗するわけではありません。ではなぜ、わざわざ不完全な人間をその計画に入れたのでしょうか?私たちが祝福の基という存在に生まれ変わったことを教えるためです。この世で1番大きな祝福は、イエスキリストによって救われるという福音です。どれだけたくさんのお金や名声を手に入れても、明日死ぬとしたら何の意味があるでしょうか?永遠に生きるための福音、これ以上に良い知らせはありません。確かに福音を伝えるという使命を持っていますが、一方で福音を伝えることのできる貴重な存在であるということを忘れてはいけません。私たちは自分が救われて終わる存在ではなく、人々を救う存在なのです。
イエスキリストを救い主として受け入れたのなら、私たちはすでに「祝福の基」です。「あれを下さい、これを下さい」と自分のためだけに願う祈りはやめましょう。自分の存在を間違えて認識しています。みにくいアヒルの子は周りに「認めて下さい」と願いました。メソポタミアにいるアブラハムは偶像に「祝福を下さい」と願ったことでしょう。しかし、私たちはすでにそのような存在ではありません。すでに「祝福の基」なのですから。そして私たちの祈りは、人々が真の祝福を受けるためにあるべきです。「良い学校に入れて下さい、就職させてください」という祈りではなく、「苦難を通して神様を知ることができますように」「試練を通して人生の目的を知ることができますように」と祈りましょう。
4。まとめ
①私たちは「祝福の基」という存在です。
祝福を求める存在ではなく、祝福を分け与える存在に変えられました。
②神様の前に出ていくことで存在が変えられます。
私たちの努力や能力ではなく、神様が私たちを変えられます。
③最大の祝福は福音です。
私たちは福音を伝える存在として生きていきましょう。
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