20250427日曜午後礼拝
聖書:ルカ19:15−26
題目:1ミナを預かった僕
説教者:高曜翰 副牧師
“さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。 最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました』。 主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』。 次の者がきて言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりました』。 そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。 それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。 あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。 彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。 では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。 そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』と言った。 彼らは言った、『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』。 『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。”
ルカによる福音書 19:15-26 口語訳
1。ヘロデ・アルケラオス
紀元前4年、ヘロデ大王の後継者として選ばれたのは、ヘロデ・アルケラオスでした。彼は、ユダヤ属州の王として認めてもらうために、ローマ皇帝の元に出発しました。ところが、親族をはじめ、弟のアンティパス、ピリポらが彼を王として認めないようローマ皇帝に訴え出ました。またユダヤ人の中からも反対勢力が大勢現れ、過激派は暴動を起こし、シリア属州の総督に鎮圧されました。そして穏健派は、ローマの直轄地であるシリア属州組み込まれたいと要求しました。
このような状況を見て、ローマ皇帝は「王」の称号を与えず、管理者としてユダヤとサマリヤだけを与えることにしました。ガリラヤとペレアはアンティパス、それ以外はピリポに与えられました。怒ったアルケラオスは帰ってきた最初の過越の祭りで、反対していた部下3000人を虐殺しました。彼の横暴さは目にあまり、10年後、住民の訴えにより追放されました。そしてユダヤとサマリヤは、ローマ人総督によるローマの直轄地となったのです。
2。1ミナを預かった僕たち
この物語は、聞く人々にヘロデ・アルケラオスを容易に連想させるような内容でした。主人が王位を受けるために遠い所へ出発することになりました。主人は10人の僕に1ミナ(約100万円)ずつ渡して、帰ってくるまで商売をしなさいと言いました。街の住人に嫌われている主人の僕として、街の住人相手に商売することは容易ではありませんでした。
時が過ぎて、王位を受けた主人が帰ってきました。そしてどんな儲けをしたかを僕たちに聞きました。ある僕は「あなたの1ミナで10ミナ儲けました」と報告しました。主人は「良い僕よ、うまくやった。小さいことに忠実だったから10の街を管理させる」と褒めて、報酬を約束しました。また別の僕は「あなたの1ミナで5ミナ儲けました」と報告しました。主人は「あなたには5の町を管理させる」と同じように褒めて、報酬を約束しました。
2人の僕は、自分たちの儲けが、自分の努力ではなく主人のおかげであることを強調しています。
そして問題の僕がやってきて言いました。「ご主人様、ここにあなたの1ミナがあります。それをハンカチに包んで閉まっておきました。あなたは厳しい方で、預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るお方だから、恐ろしかったのです」と。ハンカチは汗を拭くためのもので、お金を包めばお金を無くす危険があり、正しい行いとは言えません。そして自分の怠惰を棚に上げて、主人に問題があると告発しているのです。
主人は「悪い僕よ、私がそんな人間だというのか?そうなら銀行に預けるべきだったのではないか?」主人はその僕の怠惰を見抜き、主人に対して持っている悪い感情を叱りました。そしてその僕の1ミナを取り上げて、10ミナを持っている僕に与えました。
この例え話をしたのには理由があります。この話をしたのは、エルサレム入城の直前のことで、人々はもうすぐ神の国が来ると思い込んでいたからです。実際は、今回ではなく、イエスが死んでよみがえり、再び来る時に神の国が完全に来るのです。そして、それまでの間、ただ待つのではなく、与えられた役割があるということを前もって教えるためでした。
3。1ミナを預かった私たち
第一に、私たちはこの世に嫌われている、ということを覚えておきましょう。
“もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。”
ヨハネによる福音書 15:19 口語訳
私たちの主人であるイエスキリストは、ヘロデ・アルケオラスとは真逆の素晴らしいお方ですが、この世の人々に嫌われている点においては共通しています。そしてそんな主人を持つ僕の私たちも嫌われているのです。なぜなら、この世の人々が自分自身を主人として生きるのに対して、私達は神様を主人として生きるからです。この世の人々から見れば、私達は神に頼らないと生きていけない弱者であり、お金ではなく愛だと虚勢を張る偽善者のように見えるでしょう。
1ミナを預かった僕たちも悩んだことでしょう。主人が住人たちに嫌われており、自分たちも嫌われているからです。しかし、主人のためには主人の名前で商売をしなければなりません。どう見ても失敗する商売をしなければなりませんでした。私たちも同じ経験があるのではないでしょうか。しかし、イエスキリストを信じることによって差別を受けることは何ら不思議ではないのです。
しかし、忠実さによって必ず報酬を受ける、ということも覚えておきましょう。
“イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、 必ずこの時代ではその幾倍もを受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受けるのである」。”
ルカによる福音書 18:29-30 口語訳
神の仕事は必ず報酬を得ることができます。この世では、報酬は運と実力に左右されます。努力しても報酬を得られないこともあります。しかし神の国は違います。神様に忠実に仕える者は誰でも、この世で失った分の何倍も報酬を受けます。神様を信じる人はこの世の基準ではなく、神の基準によって生きているのです。
1ミナを預かった僕たちも報酬を得ました。普通なら、嫌われ者の主人の事業は失敗して当然です。しかし、忠実に商売した僕は、確かに利益を出したのです。神様が、私達の能ではなく忠実さを見て、結果を出させるからです。私たちも同じです。だから私たちがすべきことは、自分の能力を高めることではなく、神様に忠実に生きることです。忠実さをもって仕える者こそが何倍もの報酬を得るのです。
そして、その忠実さによって必ず神の国でも報酬を得る、ということです。
“人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。”
マタイによる福音書 16:27 口語訳
この世だけではなく、神の国でも、実際の行いに応じて報酬があることを教えています。結果ではなく、行為に応じて報酬が出るのです。やはりここでも行為に現れる忠実さを神様は見ているのです。
1ミナを預かった僕たちも神の国での報酬を得ました。金額に応じて町の管理を任されたのは、神の国での仕事を意味します。仕事も報酬の一部です。一方で、1ミナを隠し持った僕は、その不忠実さを叱られ、報酬も管理の仕事も与えられませんでした。しかし、少しでも忠実に働いた僕には神の国でも報酬があるのです。
皆さん、教会での奉仕を頑張っていますが、いつも嬉しいとは限りません。何の見返りもなくて、つらく感じる時があるでしょう。しかし、神様があなたの忠実な仕事を全て覚えています。そしてその報酬は、この世でもあの世でも必ず与えられます。
4。まとめ
確かに私達はこの世に嫌われた存在です。つらく感じる時があります。教会での奉仕ですら、いつもうれしいとは限りません。しかし、忠実さから出た行いによって、この世でも、あの世でも報酬を得ます。忠実な献身は神様が全て記録されています。これからも献身を喜び、たくさんの報酬を神様からもらってください。
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