20260104日曜日本語礼拝
聖書:ヨハネ1:14
題目:神が人となった謙遜
賛美:26、216、436、430
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
目的:どれが神様の導きか分からない人へ。答えはすでに出ています。
“そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。”
ヨハネによる福音書 1:14 口語訳
1。自然に見られる「あり得ない自己犠牲」
①南極の皇帝ペンギン
❶父親は、母親が餌を求めて海へ行っている間、卵を足の上に乗せて腹で包み守る。
❷−40℃〜−60℃の気温、風速20−30mの吹雪の中、約2ヶ月間、断食状態で暖める。
❸最大4ヶ月待つと、40kgの体重は20kgになる。年によっては30−50%が失敗する。
②太平洋のサケ
❶成長すると、繁殖のために生まれた川へ逆流して戻ってくる。
❷岩や倒木にぶつかり、オス同士の争いで、ウロコが剥がれ、出血する。
❸体が繁殖用に変化するため、食事を摂らず、免疫力も低下し、傷が治らない。
皮膚にはカビが生え、目は白く濁り、体は黒ずんでいく。ほぼ100%死亡する。
③動物たちの自己犠牲
❶しかし、これは「本能」である。愛ではない。
❷低くなるか高くなるか、苦しむか逃げるか、を考えて選んだわけではない。
❸ただ、そう造られているから。動物たちの自己犠牲は選択ではない。
④神の自己犠牲
❶イエスキリストは、犠牲を選択して地上に降りてきた。
❷本能でも、仕方なくでも、無意識に低くなって来たのでもない。
❸全てを知った上で、選択してやって来た。これが愛である。
2。本文解説
①「そして言は肉体となり」
❶「ことば」は、ヨハネ1章1節にあるように、神ご自身を指している。
❷ユダヤ的背景:「ことば」は神の創造の力であり、人間とは距離がある存在。
❸ギリシャ的背景:霊は善で肉は悪である。神が肉体を得る事は不可能であり冒涜。
❹ゼウスらがとる人間の姿はあくまで仮の姿。神が人になるという発想は衝撃的。
❺あえて弱さを持つ肉の体を選択し、拒絶される方法で、私達の世界にやってきた。
②「わたしたちのうちに宿った」
❶原語「スケノウ」は「幕屋を張った」という意味。
❷幕屋や神殿ではなく、一人の人、イエス・キリストのうちに、神の臨在が宿った。
❸神は、遠くにおられる方ではなく、共に住まわれる方となった。
❹秩序的で安全な天の住まいを出て、あえて罪で混沌とする地上に降りてきた。
❺上から裁く為ではなく、横にいて共に住むために。
③「わたしたちはその栄光を見た」
❶この世の栄光は、奇跡的な力で押し倒して支配する栄光。高さの中での栄光。
❷しかしイエスの栄光は、十字架に向かって歩む、低さの中の栄光。
❸その栄光とは、高くなる事で輝くのではなく、低くなる事で明らかになる栄光。
④「それは父のひとり子としての栄光であって」
❶この世の栄光は、周りから評価される、一時的な被造物からの栄光。
❷しかしイエスの栄光は、永遠の創造主であり統治者である神様から与えられる栄光。
❸その栄光は、永遠に続いて、なくならない。
⑤「めぐみとまこととに満ちていた」
❶恵「カリス」とは、本来受ける資格のない者に与えられる好意。
❷まこととは、偽りのない正確な真実、正しさ。
❸相手や環境によって増減せずに、常に溢れ出ている状態。
3。適用
①本能ではなく、選んで低くなることを決断しましょう。
“人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。”
マルコによる福音書 10:45 口語訳
❶本能ではなく、意思によって決断しよう。
⑴動物たちの自己犠牲は本能だが、イエスは自らの意思で選択した。
⑵神様の謙遜も、人間になるというあり得ない選択肢をわざと選んだ
⑶私たちも、性格や気質の問題でもなく、信仰による選択が求められている。
❷仕えられる立場ではなく、仕える道を選ぼう。
⑴イエスキリストは本来仕えられる立場でありながら、仕える道を選んだ。
⑵家庭で、教会で、職場で、自分の高さを手放し、低くなることが求められている。
⑶私たちも、正しい立場や人の上に立てる時、言い返せる時、私達はどうする?
②それは遠くから正すのではなく、「共に住む」信仰のためです。
“見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。”
ヨハネの黙示録 3:20 口語訳
❶遠くからではなく、近くで。
⑴私たちはつい、距離を取って、安全な場所から、正しさで人を測ろうとする。
⑵イエスは、天から命令を送る神ではなく、安全な場所から裁く神でもなかった。
⑶失敗した人のそばに立ち、弱っている人と時間を共有する「私達の内に宿る」神。
❷体だけでなく、心も「共にいる」ことが重要。
⑴食事を共にする=ただ一緒にいるだけではなく、生活や心を分かち合うこと。
⑵それは、苦しんでいる人の感情や状況に心を寄せ、理解しようとする姿勢。
⑶相手の立場に立ち、共に歩む態度を実践することが「共に住む信仰」である。
③神の恵みとまことの中で生きるように。
“女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕”
ヨハネによる福音書 8:11 口語訳
❶イエスは、恵みとまことに満ちていた。
⑴恵みだけだと甘えてしまう。
⑵まことだけだと厳しさで安らぎがない。
⑶人が信仰者に変えられるのは、神の恵みとまことの両方が結びついた時。
❷愛を持って真実を語ることが、キリストに倣うということ。
⑴上から一方的にではなく、横で共に住むことで、真実を伝えることができる。
⑵ ただ叱るのではなく、相手の状況や痛みを理解しながら導く。
⑶ これにより、相手は守られながら、正しい方向へ変えられる。
4。まとめ
①本能ではなく、選択として低くなり、
遠くから裁くのではなく、共に住み、
恵みとまことをもって人に向き合う。
②それが、人となられたキリストに倣う生き方です。
どちらか選択を悩む必要はありません。答えはすでに出ています。
私たちもその通りに生きていきましょう。


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