20260125諸職分者献身礼拝
聖書:エゼキエル3:1−3
題目:御言葉を食べての献身
賛美:353、358、主の召しに後悔はない
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
“彼はわたしに言われた。「人の子よ、あなたに与えられたものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい」。 そこでわたしが口を開くと、彼はわたしにその巻物を食べさせた。 そして彼はわたしに言われた、「人の子よ、わたしがあなたに与えるこの巻物を食べ、これであなたの腹を満たしなさい」。わたしがそれを食べると、それはわたしの口に甘いこと蜜のようであった。”
エゼキエル書 3:1-3 口語訳
1。預言者たちの召命
①イザヤ
❶結婚して子供を産んだ=未来への希望がある。
❷子供の名前「残される者」「破滅の印」がメッセージ。
②エレミヤ
❶結婚を禁止され、独身で過ごした。
❷結婚しない=未来への希望がないというメッセージ。
③エゼキエル
❶結婚したが、妻を失い、悲しむことを許されなかった。
❷このままでは、喜びが失われるというメッセージ。
④共通する使命「人々が聞こうが聞くまいが、語れ」
❶預言者の奉仕は、人の評価や反応を前提にしていない。
※イザヤが成功した預言者だというわけではない。
❷認められず、感謝されず、反応がなく、結果が見えなくても、関係がない。
❸その人生全てで神様に仕えるのが、奉仕者の姿。
2。本文解説
①なぜエゼキエルには「御言葉を食べさせた」のか(3:1–3)
❶切羽詰まった「裁きの時代」になぜこんな悠長なことをしたのか?
⑴すでにバビロン捕囚の只中、国は崩壊で猶予のない裁きが行われている。
⑵しかし神は、まず語らせなかった。
⑶「この巻物を食べ、あなたの腹を満たせ」(3:3)
❷食べることに何の意味があるのか?
⑴この厳しい時代を耐え抜く奉仕は、外側の使命感では続かないから。
⑵正しさだけでは折れる。義務感だけでは疲れる。熱意だけでは燃え尽きる。
⑶だから神は、使命の前に、内側を満たした。
❸語る前に、神の言葉で満たされよ。働く前に、神の言葉で生きよ、ということ。
⑴エゼキエル「それは口の中で蜜のように甘かった」
⑵奉仕が甘くなくても、御言葉が甘ければ立ち続けられることを示唆。
⑶奉仕が苦くても、御言葉が甘ければ立ち続けられる。
②なぜ「七日間、呆然と座っていた」のか?(3:15)
❶テルアビブで「驚きあきれて彼らの中に座した」
⑴これは怠慢ではなく、 神のことばの重さを受け止める沈黙。
⑵エゼキエルは、語る前、行動する前に、神の言葉の重さと痛みを受け入れた。
⑶神の言葉が消化されるには時間がかかる。劇薬ではない。
❷エズラも同じ姿勢を取った(エズラ9:3)
⑴衣を裂き、髪を引き抜き、呆然と座り続けた。
⑵真の霊的指導者は、すぐに動く前に、まず神の前で砕かれる。
⑶逃避せず沈黙するのは、備えられた忠実さ。
❸奉仕には、努力や熱意ではなく「忠実さ」が求められる
⑴神様は成果も評価も求めていない。神様が求めているのは忠実さ。
⑵聞かれずとも語り、認められずとも仕え、成果が見え図とも立ち続ける忠実さ
⑶そしてその忠実さは、み言葉を食べている人からしか生まれない。
3。適用(すべての献身者に向けて)
①奉仕に疲れたら「やり方」を変える前に「食べ方」を見直そう
❶もし今、奉仕が重く感じる、人の反応に心が揺れる、続ける力が弱っているなら。
⑴努力が足りないからではない。
⑵だから必要なのはもっと頑張ることではない。
⑶必要なのは、もう一度、御言葉を食べ直すこと。
例)イライラしない努力よりもまずCaとMgを2:1の比率で摂取するべし。
❷仕え続ける人ほど「語るための聖書」ではなく、「生きるための聖書」が必要。
⑴誰かを教えることに、育てることに聖書は有益である。
⑵しかし、聖書が道具ではなく、自分の人生そのものになることが大切。
⑶仕える時、人が聞いてくれない時、結果が出ない時、評価されない時がある。
⑷それでも仕え続けられるのは、自分ではなく、神様の力のおかげだから。
❸イエスも御言葉を食べて試練を乗り越えた。
“イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。”
マタイによる福音書 4:4 口語訳
⑴奇跡の力や我慢で乗り越えたのではない。神様の言葉で乗り越えた。
⑵伝道も奉仕も同じである。語る技術ではなく、まず自分が食べることが重要。
⑶私達の霊的な健康は神の言葉以外にない。
4。結論
①神は今日も、献身者に語っている。
❶「まず食べよ。それから行け。忠実であれ。」
❷人に評価されなくても、成果が見えなくても、奉仕を続けることができる。
❸献身者はエゼキエルのようにまず御言葉を食べましょう。


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