20191101早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:ルカ7:18–23
賛美:214
説教:高曜翰 伝道師
序論
聖書は、どんなに立派な信仰者であっても、試練に落ち込むことがあると教えています。
アブラハムも、モーセも、ダビデも、そしてエリヤでさえ深い絶望の中で揺らぎました。
私たちも同じです。「離婚しませんように」「どうか受験に合格しますように」――こうした願いの裏には、試練と揺れ動く心があります。
今日読むルカ7章は、信仰の巨人ヨハネでさえつまずき、疑い、揺さぶられた場面です。
そのヨハネにイエスがどのように答えられたのかを通して、私たちが試練の中でどう立ち返るべきかを学びます。
本論
1. バプテスマのヨハネの葛藤
ヨハネは「イエスは預言者ではなくメシアだ!」と確信して宣べ伝えました。
神の霊がイエスに降るのを目撃し、「世の罪を取り除く神の子羊」と証言しました。
しかし、時が進むにつれ、ヨハネの心には不満と混乱が生まれます。
その理由は三つあります。
① ヨハネ自身の状況
ヨハネは牢獄に閉じ込められ、裁判は終わらず、誰も助けに来ません。
自分が命がけで仕えたメシアは、本当に自分を救い出してくださらないのか――
状況があまりにも過酷で、信仰の英雄ヨハネも揺れました。
② イエスの行動が理解できない
ヨハネが抱いていた“メシア像”と、目の前のイエスの姿があまりにも違ったのです。
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イエスはヨハネのように断食や修行をしない
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罪人と食卓を囲んでいる(汚れを避けない)
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神の国を建てるどころか、愛ばかり語っている
ヨハネは「本当にこの方がメシアなのか?」と疑い始めます。
③ 世間の状況も好転しない
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ヘロデもローマも倒れない
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指導者たちはイエスを拒否している
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民衆も受け入れる段階ではない
さらに、「ヨハネは悪霊につかれている」「イエスは大食いの酒飲みだ」という悪口まで飛び交う。
律法によれば、どちらも死罪に値するレッテルです。
こうした状況を見ながら、ヨハネはついに言います。
「本当にそうなのか……? イエスはただの預言者の一人ではないのか?」
イエスの答え:御言葉による確証
そのヨハネに、イエスはこう答えられました。
「盲人が見え、足なえが歩き、らい病人がきよまり、聞こえない者が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が告げ知らされている。」
これは、イザヤ35:5–6、61:1に記されたメシアのしるしそのものです。
イエスは「私はメシアだ」と言葉で断言するのではなく、
御言葉の成就をもってヨハネの信仰を支えられたのです。
そして最後にこう言われました。
「私につまずかない者は幸いです。」
これは、人には決して言えない言葉です。
「つまずくな」と命じられるのは、神であるイエスだけです。
状況が思い通りにいかず、「どうして?」と問い続ける者に対して主は同じ言葉を語られます。
人々が抱いていたメシア像のズレ
当時の多くの人々、そしてヨハネ自身も、メシアを「勝利の王」として期待していました。(봉사를 받는 왕)
ローマを倒し、イスラエルを立て直す英雄を思い描いていました。
しかしイエスが示されたのは、
「仕えるしもべとしてのメシア」
でした。
この“メシア像のギャップ”が、ヨハネをつまずかせたのです。
結論
1.自分の期待と現実のギャップを認め、悔い改める
私たちもまた、気づかないうちに「自分の思うメシア像」「自分の思う神様像」を抱きます。
そのズレが不満、失望、疑いの原因になります。
しかし、そのギャップの向こう側には
神様の計画が必ず存在する
ことを受け入れ、悔い改める必要があります。
2.御言葉によって確証を得る
イエスはヨハネに「奇跡」だけではなく、「御言葉そのもの」で確証を与えられました。
私たちも試練の中で揺らぐとき、
御言葉だけが信仰を立て直してくれます。
主よ、私たちがあなたにつまずく者ではなく、
御言葉によって確信をもってついていく者となりますように。


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