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なぜこんな風に生まれたのか?(ヨハネ9:1-7)
고요한 2025-11-14 추천 0 댓글 0 조회 23

20191108早天祈祷会 in Jesus Love Church

聖書:ヨハネ9:1–7

賛美歌:8番​

説教:高曜翰 伝道師


序論

人は時に、心の中でこうつぶやきます。
「なぜ自分はもっとかっこよく生まれなかったのか?」
「なぜ自分はもっと賢く生まれてこなかったのか?」

私たちは“生まれ”の問題を避けることができません。
ヨハネ9章に登場するのは、生まれつき目の見えない盲人です。
弟子たちは彼の苦しみの理由を、本人の罪や、あるいは親の罪に結びつけようとしました。
しかしイエス様は、そのどれも否定し、全く別の視点を提示されました。


本論

1. 生まれつきの盲人 ― 苦しみの原因について

弟子たちはまず、「この人が盲目になった原因」を知りたがりました。
当時のユダヤ社会やイスラムの文化では、病気や不幸は本人の罪に対する神の罰(형벌)と考えられていました。
幸福は、本人や家族の善行の報いだと信じられていたのです。

旧約聖書のヨブの物語も、友人たちが「彼の苦しみには罪があるはずだ」と疑う典型例です。

また、弟子たちは「それなら親の罪なのか?」と問いかけます。
ユダヤの中には、「エサウは母の胎内で既に罪を犯し、神の怒りを招いた」と解釈する人々もいました。
また、母親が偶像礼拝をしていれば、胎内の子どもも偶像礼拝に参加したことになるという極端な考え方もありました。

さらに別の宗教、たとえば仏教では「前世(전생)の罪が原因」と説明する教えもあります。
多くの宗教が、原因を“過去”に求めます。

しかし、イエス様の答えはそのどれとも違いました。


2. イエス様の答え:神の業が現れるため

イエス様ははっきりと宣言されました。

「この人が盲目で生まれたのは、本人の罪でも親の罪でもない。
神のわざがこの人に現れるためである。」

苦しみや病気、災害には、罪が背景にある場合もあります。
しかし、個人の罪と直接結びつけて断定してはならないとイエス様は教えられます。

ここで注意したいのは、この物語の中心が
「盲人が癒されて良かった、良かった」という話ではないということです。

ヨハネ9章は、それ以上に深い真理――
霊的な目が開かれることの重要性
を強調しています。

肉体の目が見えるようになることよりも、
霊的な目が開かれることの方が、はるかに大切なのです。


3. 霊的に盲目であることの恐ろしさ

パリサイ人たちは、自分たちこそ“よく見えている”と信じていました。
しかし実際には、偽りに満ちた闇の中を歩み、真理を拒み続けていたのです。

一方、盲人は光を求め、イエス様の言葉に従ってシロアムへ行き、顔を洗い、視力を得ました。
それだけでなく、霊的にも光の中へと導かれました。

私たちは、パリサイ人のように「自分は見えている」と言い張る者ではなく、この盲人のように真理の光に従う者でなければなりません。

イエス様は、過去に私たちが何を行なったかよりも、
今、神の言葉にどう反応するのか(반응하는지)
を重視される方です。

この点を、現代の例として“はるき”さんや乙武洋匡さんの母親の対応にも見ることができます。
どんな状況でも、与えられた現実に対して“どう反応するか”が人生を大きく左右します。


結論

  • どうか、生まれつきのハンディキャップや弱さを「神様の罰」だと考えないでください。
    神様の計画があることを信じてください。

  • 問題なのは、霊的な目を開き、神様の言葉にどのように反応するかです。
    「自分はそこまで悪い人間ではない」と思い込むなら、かえって罪に定められてしまいます。

  • 大切なのは、この盲人のように、神様に従う心です。
    私たちも、生まれつき霊的に盲目であったことを悟り、主の光に従いましょう。

 

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