20200911早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:創世記43:1-15
題目:神に信頼するヤコブの告白
賛美:280番
説教:高曜翰 伝道師
はじめに
「なぜ私はこんな目にあうのか。」
ヤコブは度重なる困難の中で、心を閉ざし、決断を渋っていました。
しかし、そんなヤコブを励ましたのは、長男ルベンではなく、
かつて同じような痛みを経験し、信仰が成長したユダでした。
ユダはヤコブに寄り添い、彼の信仰を回復させ、
ついにヤコブはこう告白します。
「失わなければならないなら、失ってもよい。」
これは、単なるあきらめではなく、
神への全面的な委ねと信頼の告白でした。
1.痛みを克服した者こそ、同じ痛みを抱える人を励ますことができる
ユダは、二人の息子を失うという深い悲しみを経験しました。
しかしその痛みを通して、彼は強くされ、成熟しました。
だからこそ、ヤコブの痛みに寄り添い、彼を励ますことができたのです。
私たちも、試練を経験するとき――
その痛みは無駄ではありません。
神様はその経験を用いて、
他の人の重荷を共に負う器へと成長させてくださいます。
2.見えるものではなく、見えない神にしがみつく
ヤコブは、最愛の子ベニヤミンを手放すことを恐れていました。
しかしユダとのやり取りを通して、
彼は次第に視点を変えられていきます。
-
ベニヤミンではなく、神様にしがみつく
-
お金や物ではなく、信仰に基づく決断をする
-
自分の義ではなく、神の義に頼る
信仰とは、
見えるものに頼る生き方から、見えない神を信頼する生き方へ移ることです。
3.神への信頼から生まれる告白と委ね
ヤコブは言いました。
「もし失うなら、失ってもよい」
これは、
「どうでもいい」という投げやりな言葉ではありません。
彼は自分のできることをすべてした上で、
残りは神様に委ねるという信仰の告白でした。
神様はどのような方でしょうか?
-
困難を通して私たちを成長させ、
-
成長した者を他の人を助ける器として用い、
-
その歩みに気づき、従う者に祝福を与えてくださるお方です。
結論
私たちは人生で、必ず決断を迫られる時があります。
その決断が恐ろしく思える時もあります。
しかし、私たちの決断は
「見えるもの」ではなく「信仰」に基づくものであるべきです。
ヤコブが神に委ねたように、
私たちも、
「失うことさえ神に任せられる信仰」
を持つ者となりましょう。


댓글0개