20210814家庭礼拝
聖書:民数記8:1–4
題目:燭台の光
賛美:433番
説教:高曜翰 伝道師
導入
レビ記8章5節以降と民数記8章5節以降の内容は似ていますが、レビ記が「祭司」について語っているのに対し、民数記8章は「レビ人」について記しています。
そして民数記8章1–4節では、大祭司アロンに対して
「燭台に火をつけなさい」
という重要な命令が与えられています。
これは、レビ人が奉仕を始める前に行う大切な儀式であり、守るべき順序があることを示しています。
※例:労災保険が下りるために必要な手続きを守るように、神の働きにも順序がある。
燭台の意味
燭台の詳しい構造は出エジプト記25章31–37節、37章17–24節に記されています。
そこから、燭台には次のような象徴的意味があります。
① 一タラント(約34kg)の金で作られている
金は錆びないため「永遠」を表します。
→ 神様の性質を象徴します。
② 七つのともしび皿がある
「7」は完全数。
→ 神の完全性を示します。
③ アーモンドの花の形をしている
アーモンドは1月(冬)に芽を出すため「復活」「生命」の象徴。
→ イエス・キリストの復活と命を示します。
④ すべて槌で叩いて作る
つぎはぎではなく、一本の金を叩いて形づくる。
→ 信者の信仰も、叩かれ鍛えられて形づくられることを象徴します。
⑤ ともしび皿にはオリーブ油を注ぐ
油は聖霊の象徴。
→ 神の働きは、聖霊によって初めて可能となる。
光の意味 — 神の働きは神の光によって
幕屋には窓がなく、とても暗いため、燭台の光は欠かせませんでした。
しかし、ここで重要なのは次の点です。
神の働きは、世の光ではなく、神の光によってのみ可能である。
幕屋は、罪人がそのまま近づけば死んでしまうほど、聖なる神が住まわれる場所。
だからこそ、まず必要なのは 神の光 なのです。
黙示録にも「七つの金の燭台」が登場し、それは「教会」を象徴しています。
つまり、
教会とは、神の光をこの世に現す場所 です。
パウロは頭が良く、才能のある人物でしたが、神の光がなかった時にはイエスを迫害しました。
神の光がないなら、祭司の働きも、私たちの奉仕も、どれほど熱心でも無益です。
結論
教会が人を集めるために英語教室や保育園を運営することは悪くありません。
立派な教会を建てることも悪いことではありません。
コロナ禍で教会を閉める決断をすることも、決して悪ではありません。
しかし――
教会が絶対に忘れてはいけないことがあります。
それは、
教会は社会の中で「神の光」を表す場所でなければならない。
教会は「神の光」を証しするために存在する。
ということです。
かんみょんほ執事のように、生活や事業の苦しさから教会を離れてしまう人がいます。
しかし教会が神の光を示すとき、人は再び神のもとに戻る道を見ることができます。


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