20211008早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:ピレモン1:1-25
題目:同じキリスト者だから
賛美:408番
説教:高曜翰 伝道師
1–7節:ピレモンへの称賛と感謝
ピレモンはコロサイ教会の牧会者、あるいはリーダーとして信徒たちの間で良い評判を得ていた人物です。
テモテも良い信徒として評価されていましたが、ピレモンもまた信徒たちからの評判が非常に良く、そのことをパウロは心から褒め、感謝の言葉を述べています。
私たちも、教会の中に評判の良い方がいると、それだけで嬉しいものです。
8–13節:命令ではなく、愛ゆえのお願い
パウロは、ピレモンに対して命令ではなく、愛ゆえにお願いをしています。
その愛とは、パウロからピレモンへの愛であると同時に、ピレモンが聖徒たちに示してきた愛でもあります。
オネシモは、もともとピレモンの奴隷であり、家から何かを盗んでローマへ逃亡しました。
しかしローマでパウロと出会い、そこで学び、人生が変えられました。
当時、ローマ帝国には6,000万もの奴隷がいて、自由人よりも多かった時代。
奴隷の逃亡に対する処罰は非常に厳しく、ピレモンがオネシモを処罰するのは当然とみなされる状況でした。
それにもかかわらず、パウロはオネシモをピレモンの元へ送り返し、彼を許して受け入れてほしいと願っています。
14–20節:受け入れがたい要求を続けるパウロ
パウロはさらに、受け入れがたいことを続けて語ります。
強制ではなく、ピレモンが自発的にオネシモを受け入れることを望んでいるのです。
オネシモが逃げたことは、彼が新しく生まれ変わるための必要なステップだったのかもしれない、とパウロは言います。
そしてパウロは、「奴隷としてではなく、兄弟として」オネシモを受け入れるよう求めています。
また、パウロはオネシモの負債を自分が負うと言います。
これは到底受け入れられないほど重い申し出ですが、パウロとピレモンの深い関係性のゆえに成り立つ言葉でもあります。
キリストを通してパウロが変えられ、パウロを通してオネシモが変えられ、そして今、パウロとオネシモを通してピレモンも変えられようとしています。
イエスサラン教会も、このように互いに変えられていく共同体でありたいものです。
21–25節:パウロの期待と「キリストの願い」を聞くという姿勢
パウロは、ピレモンが従ってくれると期待しつつ手紙を結びます。
「キリストのために捕らわれているパウロと、エパフラスからのお願い」であるとも記しています。
私たちも、イエス様が天に昇られる前に残された最後の言葉を聞いています。
それは、私たちの代わりに死んでくださった方の願いであり、そのキリストのために捕らわれているパウロの願いでもあります。
だからこそ私たちは、人の言葉を聞くとき、単に「その人が好きだから」ではなく、
同じキリスト者だから という理由で耳を傾けることができるのは、とても素晴らしい姿勢です。
ヨシュア記などを見ると、信じられないような状況でさえ「信じて歩むように」神は求めておられます。
しかし今は、神は人を通して御言葉を届けられます。
私自身、人を通して変えられたことを深く実感しています。
適用:関係が変わると、人も変わる
私には気難しい青年がいます。
彼がどんな指導者であっても、その権威を認めて従うことができるようになるには、彼自身が変わらなければなりません。
しかし彼が変えられるためには、まず彼との関係が変わる必要があります。
残り3か月もありませんが、放っておくのではなく、
彼との関係を変える努力を通して、彼が新しく来るどんな伝道師に対しても権威を認められるように導きたいと思っています。
能力や自分の好みで「従う・従わない」を決めるのではなく、
キリストのうちにあって、愛によって従う ことができるように。
だから私たちも、誰かを無理やり変えようとするのではなく、
相手が自発的に変わるように、また自発的に人を許せるように、
キリストの愛によって互いに助け合う教会になれたらと願います。


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