20220827土曜祈祷会・家庭礼拝
聖書:創世記28:10-22
題目:ヤコブの告白
賛美:216
説教:高曜翰 講道師
場所:大阪中央教会・家庭
内容: 生命の保障を約束してくださる神様を信じ、感謝して信仰生活を送りましょう。
1.神の言葉
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ヤコブは、アブラハムやイサクと同じ約束を、初めて直接神から受けました(28:13-14)。
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アブラハムの場合:「私が示す地に行きなさい」(12:1)
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イサクの場合:「わたしがあなたに示す地にとどまりなさい」(26:2)
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ヤコブの場合:「あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう」(28:13)
→ ヤコブにとってこの約束は無条件です。失敗の旅だと思っていたヤコブにとって、癒しの言葉でした。
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「あなたをこの地に連れ帰るであろう」(28:15)
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この旅が神の計画の中にあることを示している
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神が責任を持った訓練の旅である
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逆に言えば、自分の意志だけでは帰れず、神の時が来るまで待たなければならない
→ 神の訓練を無条件に受けることになるが、ヤコブには勇気を与える
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2.ヤコブの反応
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良い点
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神様を認め、この地を「神の家(ベトエル)」と名付けた
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「神の家としましょう。十分の一をわたしは必ずあなたにささげます。」(28:22)
→ 神様に素早く反応しており、ヤコブの神様に対する態度が表れている
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悪い点
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「この道で私を守り、食べるパンと着る着物を賜い、」(28:20)
→ 神に生命の安全を求める、ヤコブの未熟さを表している -
「…父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。」(28:21)
→ 多くの人がつまずく部分。「なら」ではなく、「ので」と告白する必要がある
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3.十分の一献金
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十分の一献金は信仰の証です
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十分の一は、良い部分の初穂としてすべてを捧げる意味がある
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十分の一の義務が苦痛であればやめてもよい。負担になるのは仕方ない
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十分の一を捧げないからといって天国に行けないわけではない
→ ただ、十分の一で悩む人は、信仰生活の中で天国に至る人の中には少ない
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例:奥さんに対する態度、見返りを求める友達への対応
4.生命の保障
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「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである」(マタイ6:31-32)
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イエスは、神様が天の父である時点で、生命の保障が得られると語っている
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死なないわけではないが、神の計画の中で生きることになる
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主の愛の中では、命よりも大切なものが出てくる
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例:奥さんを自分より愛する態度、仕事場で利益だけを追求する態度
5.まとめ
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命の保障はすでに神様がしてくださっているので、心配しない
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生きるためだけに生きるのではなく、自分の利益のために生きるのではなく、
使命のために生き、神様との関係を楽しむために生きる -
「なら」の祈りではなく、「ので」の祈りをしよう
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私たちはすでに永遠の命の約束を受けている
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それを信じ、感謝して生きよう


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