20221211青年部礼拝
聖書:サムエル上15:24
題目:誰に認めてもらいたいか?
説教:高曜翰 講道師
場所:중앙성서교회
主題:
人に認められようとすると、人を恐れるようになり、やがて罪を犯してしまう。しかし神様に認められることを第一にすると、人を恐れる必要がなくなり、結果として人からも認められるようになる。私たちは「神様に認められること」を最優先にして生きるべきである。
サウルはサムエルにこう言いました。
「私は主の命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。」
この告白は一見すると正しい悔い改めのように聞こえます。しかし、その背後にあるサウルの心を見ると、非常に大切な問題が隠されています。
1.導入の質問
まず質問です。
「今、一番人気のある韓国芸能人は誰でしょうか?」
一年前、アメリカの韓国人教会で同じ質問をした時、「かっこいい人」としてはチャン・グンソクやキム・テヒョン(V)、「かわいい人」としてはハン・ジミンやナム・ジヒョンの名前が挙がりました。
では、中央聖書教会ではどうでしょうか。
「かっこいい人」としてはチャ・ウヌ、「かわいい人」としてはパク・ボヨンやIUが有名です。
実は、聖書にも「かっこいい」と言われる人物が登場します。それが、イスラエル最初の王、サウルです。
2.サウル王とはどのような人物だったか
① 容姿
サウルはイスラエルで最も背が高く、美しい人物でした。また、彼は裕福な家系の出身で、服装や身だしなみも整っていたと考えられます。見た目にも特別感のある存在でした。
例えば、サウルが町に入ったとき、彼に声をかけられた乙女たちは興奮して長々と話しています。サウルの質問はわずか9文字ほどなのに対し、乙女たちの答えは151文字にも及びます。また、サムエルは彼に最上の料理、最上の席、最上の宿泊場所を用意しました。
② 性格
サウルは性格面でも優れた人物でした。
父の言葉に従ってロバを探しに行く従順さがあり、召使の意見にも耳を傾ける柔軟さがありました。また、人から非難されても争わず、聞こえないふりをする冷静さを持っていました。サムエルの言葉に対しては謙虚であり、王に選ばれた後も父にはそのことを伏せる判断力もありました。
このようにサウルは、世の人が求める理想的なリーダーの条件をすべて兼ね備えていたのです。
③ サウルの心
しかし、サウルの内面には大きな問題がありました。
彼の心は劣等感の塊でした。サウルは、最小部族であるベニヤミン族の、しかもギブアという堕落した町の出身でした。
ところが、サムエルによって王に選ばれたことで、今度は優越感が生まれます。このシンデレラストーリーのような急激な変化が、サウルを高慢にしていきました。
本来、人は誰でも持っている劣等感を神様によって癒されるべきです。しかしサウルは、それを人からの評価によって埋めようとしました。ここに問題があります。
彼は神様よりも人に認められることに固執し、人が離れていくことを恐れるようになったのです。
3.サウルの失敗
① 神様の命令
神様はサウルに、アマレクを打ち、すべてを聖絶するよう命じました。
それは、男も女も子どもも乳飲み子も、すべてを滅ぼすという非常に厳しい命令でした。アマレク人は、救いの見込みがない民族として、完全に裁かれるべき存在だったからです。
② サウルの勝手な行動
しかしサウルは、アガク王と上質な家畜を残しました。
アマレク人がかわいそうだったからでしょうか。しかし実際には、子どもや乳飲み子も殺しています。
「神様に生贄を捧げるためだった」と彼は言いますが、真の理由は、民によく見られたかったからです。本来であれば、王として民を叱り、神の教えに従わせるべきでした。しかしサウルには、神を恐れる心ではなく、人を恐れる心がありました。
その結果、彼は自分のために記念碑まで建てました。すべては人に認められたかったからです。
4.サウルの言い訳と偽りの悔い改め
① 嘘と言い訳
サウルはサムエルに「主の言葉を守った」と嘘をつきます。しかしサムエルは「では、この羊や牛の鳴き声は何か」と問い詰めます。
嘘がばれると、今度は「民が神様に捧げるために連れてきた」と言い訳し、最終的には責任を民に押し付けました。
② 間違った信仰理解
サウルは、生贄を捧げさえすれば神様は満足すると考えていました。しかしサムエルは言います。
「聞き従うことは、生贄に勝る。」
生贄は、神様と共に生きるための手段であって、神様ご自身がそれを欲しているわけではありません。同じように、教会での奉仕も、私たちに与えられた恵みであり、神様が労働力やお金を必要としているわけではありません。
神様が望んでおられるのは、神様を王として認め、従う私たちの心です。
③ 偽りの悔い改め
サウルの悔い改めは表面的でした。
彼は「私は罪を犯しました」と言いながら、「どうか民と長老の前で私の面目を立ててください」と願いました。これは神様との関係回復ではなく、人前での体面を守りたいという願いでした。
サウルは、神の前に罪を犯すことよりも、人に罪が知られることを恐れていました。神様との関係が壊れることよりも、人との関係が壊れることを恐れていたのです。
そのため、神様はサウルから王位を取り上げ、神様との関係を第一にする者に与えることを決められました。
5.イエス様の生き方との対比
イエス様は、サウルとは正反対の生き方をされました。
容姿は決して恵まれておらず、威厳も美しさもないと預言されています。生まれは家畜小屋で、結婚前に宿った子として誤解され、幼少期にはエジプトへ逃れる生活を送られました。
宣教の中では、「食いしん坊の大酒飲み」「取税人や罪人の仲間」と言われ、パリサイ人や律法学者から激しく反発されました。それでもイエス様は、人を恐れることなく神様の言葉を宣べ伝え、取税人や罪人と共に列に並んでバプテスマを受けられました。
それは、どんなときも神様を恐れ、すべての優先順位を神様に置いておられたからです。だからこそ、何も恐れる必要がなかったのです。
6.結論
私たちは、誰に認められたいのでしょうか。
神様よりも人に認められようとすると、サウルのように人を恐れ、罪を犯すようになります。そして神様との関係が壊れ、神様が与えてくださったものさえ失ってしまいます。
しかし、神様に認められることを第一にするなら、神様は私たちを認め、結果として人々も私たちを認めるようになります。人を恐れる必要も、人に認められないことで失望する必要もなくなります。
人ではなく、神様に認められることを第一にして生きていきましょう。


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