20221218 青年部礼拝説教
聖書:サムエル上17:37
題目:確信を得る3つの秘訣
説教:高曜翰 講道師
場所:중앙성서교회
内容:ダビデは、「主は私を獅子や熊の手から救い出してくださった。その主が、このペリシテ人の手からも救い出してくださいます」と告白しました(17:37)。彼は世俗的な基準ではなく、神様の栄光のために立ち上がり、その結果、大胆に生きる確信を得ました。私たちも同じように、神様のために、神の基準に従い、今いる場所で最善を尽くすとき、確信に満ちた人生を歩むことができます。
1.自分のためではなく、神の栄光のために行動したダビデ
サウルは外見も性格も整っており、人々から見れば理想的な人物でした。しかし、彼は神の栄光ではなく、自分の栄光に関心を持っていました。一方、ダビデは家族からも軽んじられる存在でしたが、心の中心にあったのは神の栄光でした。
ゴリアテは身長約2.9m、鎧は約57kg、体重も200kgを超えると思われる巨人でした。サウルやイスラエルの兵士たちは、40日間も怯えて何もできませんでした。自分を守ることだけを考えるなら、戦わない方が得策だからです。
しかしダビデは恐れずに立ち向かいました。彼の行動基準は「自分」ではなく「神の栄光」だったからです。人は自分のためより、愛する誰かのための方が強くなれます。ダビデは神様を愛していたからこそ、ゴリアテの前に立つことができました。
神様のために立ち上がる時、私たちにも勇気が与えられます。
2.世俗的な基準ではなく、神の基準に従った
神様のために働いていても、もし世の基準のまま働くなら、必ず疲れ果てます。神様の考えと人の考えには大きな隔たりがあるからです。
ダビデの兄エリアブは、「戦うには強い武器と立派な戦士が必要だ」という固定観念に縛られていました。しかしダビデはサウル王が与えた鎧や剣を断り、羊飼いとしていつも使っていた杖と石、そして神の御名だけを武器として戦場に立ちました。
エリアブは「自分が持っているもの」を基準に、自分には無理だと判断しました。不信仰な者は、想像できる範囲のことしかできません。しかしダビデは、自分に資格があると思ったのではなく、「神様が働かれる」という確信を持っていました。
神様の戦いに必要なのは、立派な武器ではなく、「神が勝利を与える」という確信です。
3.与えられた環境で最善を尽くした
サウルは王としての役割を果たさず、しばしば過ちを犯しました。民の声に流され、ヨナタンを殺そうとし、ダビデを妬んで害しようとしました。
しかしダビデは、誰からも注目されない牧場で、毎日羊の世話をし、ライオンや熊が来れば命がけで立ち向かい、与えられた場所で全力を尽くしていました。その牧草地こそ、神様が彼を訓練した場所でした。
そこで彼は「神に頼る信仰」と「謙遜」を学んだのです。
ダビデにとって無意味に思えた牧草地は、神様のご計画の中では重要な訓練場でした。今いる場所が意味あるところとなるかどうかは、「環境」よりも、「神様を頼る態度」にかかっています。
4.ダビデのように生きたイエス様
イエス様も、自分の栄光ではなく父なる神の栄光のために生きられました。奇跡を自分の名声のために用いることをせず、常に神の御心を優先されました。
また、聖霊に導かれて荒野の試練を受け、命を狙われても福音を語り続けました。
イエス様は「神の基準」「与えられた場所での忠実さ」という生き方の最高のモデルです。
5.どのように生きるか
誰もが平安に静かに暮らしたいと願います。しかし多くの人は、事故や病気、問題などに直面し、穏やかな生活を保つのが難しくなります。
世の人は自分の栄光のために生きるため、劣等感や失望を抱えてしまいがちです。世の基準に照らすと、誰でも惨めに感じてしまうことがあります。
しかし私たちは、
神の栄光のために働き、
神の基準を持ち、
神が与えた環境で最善を尽くすなら、
波乱の中でも平安を得ることができます。
すると、普段では出せない力が湧き、自分の限界を超えて生きることができるようになります。苦しみや劣等感さえも神様が用いてくださり、私たちは「神の用いる器」へと造り変えられていきます。
結論
神の栄光のために、
神の基準に従い、
今いる場所で一生懸命生きるとき、
私たちは大胆に、確信を持って歩むことができます。


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