20230430早天祈祷会
聖書:創世記41:29–36
題目:知恵を下さる方を認めよう
賛美:320
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
本日の御言葉は、ヨセフがパロの夢を解き明かし、これからエジプトに起こる出来事と、その備えについて語る場面です。
この箇所を通して、私たちが「知恵を下さる方を認めて生きる」とはどういうことなのかを考えていきたいと思います。
1.聖句解説
29節では、「エジプト全国に七年の大豊作がある」と語られています。
夢の中でナイル川から上がってきた七頭の肥えた雌牛は、その豊作を表しています。
エジプトにおいて牛は生活のパートナーであり、また信仰の対象でもありました。
エジプト人は牛肉をあまり食べず、殺すことはあっても大切に扱っていました。
特に雌牛は、豊穣の女神イシスが送る聖獣と考えられていました。
雄牛は力の象徴であるオシリスに結びつけられますが、地位としては雌牛の方が高いとされていました。
30節では、その後に七年の大飢饉が来ることが語られます。
ナイル川という生命の源から、痩せた雌牛が上がってくることは、本来あるべき姿とは逆であり、異常事態を表しています。
痩せた牛は肥えた牛を食べ尽くしても、なお痩せたままでした。
これは、大豊作の記憶が消し去られるほど、飢饉が激しく、国を滅ぼすほどのものであることを示しています。
31節では、「後に来る飢饉が非常に激しいため、以前の豊年が記憶されなくなる」と強調されています。
それほど深刻な危機が訪れるということです。
32節では、パロが同じ内容の夢を二度見た理由が語られます。
それは、この出来事が神によってすでに定められており、必ず実行されるからです。
当時のエジプトでは、パロは神そのもの、あるいは神の世界と人間世界の境に立つ存在と考えられていました。
夢は神々がパロに語りかける重要なメッセージと理解されていました。
しかしヨセフは、エジプトの神々ではなく、主なる神がこの夢を見せているのだと告げます。
「二度夢を見た」ということは、この出来事が確実に起こるという強調でもあります。
この時代のエジプト政権は、百年ほどエジプトを支配したヒクソス王朝であった可能性が高いと考えられています。
彼らはエジプト文化に溶け込み、パロを神の使いとして理解していました。
33節でヨセフは、今すべきこととして、賢く、分別のある人を選び、国を治めさせるように進言します。
ここでヨセフは、自分を前に出そうとはしていません。
ただ、真実を語り、神様の御心を伝えようとしている姿勢がはっきりと見えます。
34節では、豊作の七年間に、産物の五分の一を集めるように提案します。
これは税として20%を集めるという意味です。
それがヒクソス支配地域だけなのか、エジプト全域なのかは明確ではありません。
35節では、集めたすべての食糧をパロの手によって各町に蓄え、管理させるように語ります。
これは、管理を徹底するという意味であり、またパロの名において責任を持って管理するという意味でもあります。
36節では、こうして備えをするなら、七年の飢饉が来ても国は滅びないと語られます。
ここで示されているのは、非常に現実的で、完全な対策です。
同時に、パロが神と考えられていたとしても、何かを創造することはできず、歴史の流れに従うしかない存在であることが明らかになります。
そして真の知恵は、エジプトの神々ではなく、ヨセフの神から来ていることが示されます。
2.ヨセフの態度
ヨセフは一貫して、「神様がなさったこと」を強調しています。
それは自分の手柄ではなく、自分が前に出ることでもありません。
神様がパロに示されたことを、そのまま解き明かしているにすぎないという姿勢です。
ヨセフの人生は、常に「No.2」の立場でした。
ポティファルの家でも、牢屋の中でも、そしてエジプトの総理大臣になってからも同じです。
理解不能な夢を通して、No.1であるはずのパロは、自分の限界を知りました。
ヨセフは夢の解釈だけでなく、具体的な解決策まで示しました。
その結果、パロはヨセフが自分よりも賢い者であることを認めるようになります。
3.イエス・キリスト
イエス様の知恵も、同じです。
イエス様は自分勝手に知恵者として語ったのではありません。
「わたしは父から聞いたことをそのまま語る」と言われたように、神様から聞いたことを語られました。
イエス様は、冷たい環境で生まれ、苦しみを受け、十字架にかかられました。
それはご自身の考えではなく、神様の計画に従った結果です。
その知恵と力を、自分のためではなく、神様の計画のために用いられました。
4.私たちへの適用
ヨセフ、パロ、そしてイエス様に共通していることがあります。
それは、「自分が賢いから」ではないということです。
自分が偉い、自分ができると思っている間は、仮に成功しても、自分の命しか救えません。
しかし自分を低くし、神様の知恵を認める時、多くの人を救う器とされます。
自分のためだけに祈る祈りは、ヨセフの兄たちと同じ道、つまり破滅へ向かいます。
「神様が私を一番に考えているなら、私の願いを叶えるべきだ」という考えは危険です。
神様は、自分の国ではなく、神様の国を建てるために働く人の祈りを聞かれます。
子どもを育てる時も同じです。
何かを達成した時に「賢いね」とだけ褒めるのは良くありません。
自分が知恵ある者だと勘違いしてしまうからです。
「よく頑張ったね。神様が知恵を与えてくださったね」と伝えるべきです。
5.まとめ
人から出る知恵には限界があります。
命につながる本当の知恵は、神様から来ます。
どれほど努力しても、人間の知恵には限界があります。
限界のない神様の知恵を認め、謙遜になることが必要です。
ヨセフの知恵は、自分のためではなく、神様の計画のために与えられました。
明日を生き延びるためだけの祈りから離れ、
自分の計画ではなく、神様の計画のために知恵を求めましょう。
知恵を与えてくださる方を認め、その方の栄光のために知恵を求めて生きていきましょう。


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