20230507早天祈祷会
聖書:創世記43:8-14
題目:信仰を取り戻す神の計画
賛美:405
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
はじめに
創世記43章は、ヤコブ一家が再びエジプトへ行くかどうかという、極めて重い決断を迫られる場面です。
この箇所は単なる家族の物語ではなく、失われかけた信仰を神様がどのように回復されるのかを示す、神の深い計画が描かれています。
1.ベニヤミンを連れて行く決断(8〜14節)
8節で、ユダは父ヤコブにこう語ります。
「ベニヤミンが一緒に行くことを許可すれば、私たちは行きます。そうすれば我々もあなたも、我々の子どもも生きることができます。」
① ベニヤミンを連れて行かなければならない理由
第一に、シメオンがスパイ容疑で人質になっていました。
ヨセフは、弟ベニヤミンを連れて来ることを条件として提示しており、連れて行かなければ穀物を買うことができません。
第二に、広範囲に及ぶ大飢饉によって、食糧はエジプトにしかありませんでした。
ヤコブたちの主食である麦はなくなり、家にはピスタチオやアーモンドの木の実しか残っていませんでした。
第三に、前回購入した麦も尽きかけていました。
もはやエジプトへ行く以外に、生きる道はなかったのです。
② それでもベニヤミンを送りたくない理由
ヤコブには、ヨセフを失った深いトラウマがありました。
また、ベニヤミンがシメオンのように捕らえられるかもしれないという恐れもありました。
さらに重要なのは、ヤコブにとってベニヤミンが偶像のような存在になっていたという点です。
2.ユダの覚悟(9〜10節)
9節でユダは言います。
「私がベニヤミンの責任を負います。もし連れて帰らなかったら、永久の罪を負いましょう。」
ここにはユダの大きな変化があります。
第一に、民族を生かすための覚悟です。
第二に、タマル事件をきっかけに、責任感が生まれました。
第三に、ヨセフに対する罪の意識がありました。
かつてヨセフを失わせたユダは、今度はヨセフの代わりにベニヤミンの命を守るため、全力を尽くす覚悟を示します。
10節では、ユダは「こんなにためらわなかったら、今頃は二度行って来られたでしょう」と語ります。
ヤコブが悩み続けていた時間は、エジプトを二往復できるほどの時間でした。
3.ヤコブの決断と変化(11〜14節)
11節で、聖書はヤコブを「イスラエル」と呼びます。
「この国の名産を持って行き、贈り物としなさい。」
① ヤコブが説得を受け入れた理由
ヤコブは、長男ルベンの説得には耳を貸しませんでした。
しかし、四男ユダの説得は受け入れました。
これは、霊的に成長した者にリーダーシップが与えられることを示しています。
② 名産品の内容
エジプトでは手に入りにくいピスタチオやアーモンド。
防腐剤として貴重な蜂蜜や没薬。
香りのための乳香と没薬。
③ なぜ名産品を持たせたのか
エジプト人の機嫌を取るためであり、
ベニヤミンが無事に帰ってくることを期待しての行動でした。
また、かつて兄エサウに対して用いた方法でもありました。
④ 「イスラエル」という名前の回復
42章までは「ヤコブ」という名前が使われていましたが、43章で「イスラエル」に変わります。
これは、問題を直視し、それと格闘し始めたことを意味します。
ユダの説得以前、ヤコブには被害者意識しかありませんでした。
4.信仰の回復(12〜14節)
12節では、倍額の銀を持って行くように命じます。
それは、疑いをかけられないためであり、
ベニヤミンの無事を願う気持ちの表れであり、
何より信仰による正しい解釈を始めた証でした。
13節で、ヤコブはついにベニヤミンを送り出します。
ここでヤコブは、自分の固執を下ろしました。
被害者意識を下ろし、偶像となっていたベニヤミンを下ろし、神様に委ねるようになったのです。
14節でヤコブは祈ります。
「全能の神が憐れみを与え、シメオンとベニヤミンを返してくださるように。もし子を失わなければならないのなら、失ってもよい。」
ここに、信仰回復の決定的瞬間があります。
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人にこだわる姿勢をやめ、
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人との関係においても主人が神様であることを認め、
-
最も大切なものをベニヤミンから神様へと置き換えました。
これは諦めではありません。
全ての主権を神様に委ねた信仰の回復です。
5.ヤコブの変化
ヤコブは、ヨセフを失ったトラウマから被害者意識に縛られていました。
問題を直視できず、立ち止まっていました。
しかし、再び戦う意思を取り戻し、「イスラエル」となりました。
彼は、先祖と同じように息子を偶像化していました。
アブラハムにとってのイサク、イサクにとってのエサウ。
しかし、ベニヤミンを神様の手に委ねた時、再び神様に信頼し始めました。
その結果、46章では大いなる国民とされる約束を受け、
49章ではレアと同じマクペラの墓に葬られます。
ヤコブの信仰を回復させたのは、ヨセフを奪ったユダでした。
悔い改め、主に立ち返ったユダを通して、
偶像によって失われていたヤコブの信仰が癒されたのです。
6.イエス・キリストとの関係
「主よ、主よと言う者が皆天国に入るのではなく、父の御旨を行う者が入る」(マタイ7章21節)
ヤコブはヨセフを偶像化し、
ユダもまた自分中心で神様から離れていました。
しかし神様は、ユダを用いてヤコブの信仰を癒されました。
ヨセフを失ったことは、ヤコブを生かすための出来事でした。
私たちの困難もまた、私たちを生かすためのものです。
苦しみの原因となった人物が、救いの原因になることもあるのです。
7.まとめ
神様は、私たちが偶像を捨て、天国に入るために困難を与えられます。
神様は悪人さえもご自身の計画の中で用い、悪人さえも救われるお方です。
だから私たちは、人を憎む必要はありません。
その人を通して、神の計画を見る者となりましょう。


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