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両親を敬うために(エペソ6:1)
고요한 2025-12-26 추천 0 댓글 0 조회 2

 

20230514青年部礼拝

聖書:エペソ6:1
題目:両親を敬うために
賛美:559番「사철에 봄바람 불어 있고」

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


聖書朗読
「子どもたちよ。主にあって、あなたがたの両親に従いなさい。これは正しいことなのです。」
(エペソ6章1節)


はじめに

生まれてきた家庭環境によっては、「両親を敬う」ということほど難しいことはありません。
むしろ、敬えない理由をいくつも持っている人も多いでしょう。

それでも神様が「両親を敬いなさい」と命じておられるのは、
私たちに不幸になってほしいからではなく、幸せになってほしいからです。

私たちが両親を敬うことができるようになった時、
それは私たちの傷が癒やされ、神の平安の中に入れたことを意味します。


1.虐待の背景

① 毒親(Toxic Parents)

「毒親」という言葉は、1989年にスーザン・フォワードによって使われ始め、日本では2015年頃から広まりました。
これは、子どもの人生を支配し、結果的に害を及ぼす親を指します。
その根本的な原因は、親自身の自己愛にあります。

② 虐待の現状

虐待には、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト(保護の怠慢)があります。
WHO(2018年)によると、世界で約10億人、つまり2人に1人の子どもが何らかの虐待を受けています。
成人の約25%が虐待経験を持ち、性的虐待は男性8%、女性20%に及びます。

③ クリスチャンの毒親

クリスチャン家庭にも毒親は存在します。
「あなたの父と母を敬え」という聖書の言葉を悪用し、
子どもを洗脳し、所有物のように扱う場合があります。

責任感が強すぎるあまり、自分の価値観や常識の枠の中に、子どもを閉じ込めてしまうのです。

では、敬えない親がいる場合、私たちはどうすればよいのでしょうか。


2.聖書の教え①

「敬うべきだが、従ってばかりではいけない」

エペソ6章1節には「主にあって両親に従いなさい」とあります。
コロサイ3章20節でも、「何事についても両親に従いなさい」とありますが、
その前提は「主にあって」です。

「従う」という言葉は、ギリシャ語で「ウパクオー」と言い、
「聞く」「従う」「服従する」という意味を持っています。

しかし、両親に従うのは、主にあっての場合のみです。
神様に反することを命じる親に、無条件で従う必要はありません。

一方で、エペソ6章2節では
「あなたの父と母を敬え」と書かれています。
「敬う」とは、ギリシャ語で「ティマオ」、ヘブル語で「カバード」。
どちらも「尊ぶ」「重んじる」という意味です。

つまり、両親を立てることです。
どんな親であっても、必ず良いところがあります。それを探す努力が求められます。

結論として、

  • どんな両親でも敬う必要はある

  • しかし、主に反対することには従ってはならない

  • 「敬うこと」と「従うこと」は違う

これが聖書の教えです。


3.聖書の教え②

親は子を偶像化しやすく、子は親から離れるべきである

創世記2章24節にはこうあります。
「それゆえ、人は父と母を離れ、妻と結ばれ、一体となる。」

人は成人すれば、結婚し、親から離れる存在です。
ユダヤ人の成人式は、男性13歳、女性12歳です。

親子関係は一時的なものであり、夫婦関係は一生続くものです。
夫婦関係を壊すような親子関係は、断る勇気が必要です。
ただし、年老いた親の介護は大切な責任です。

親の弱さの一つは、子どもを偶像にしやすいことです。
アブラハムとイサク、イサクとエサウ、
ヤコブとヨセフ、ベニヤミン、
エリとホフニ・ピネハス、
サムエルとヨエル・アビヤ。

しかし、子どもの主権は親ではなく、神様にあります。
人間関係の主人も神様です。

また、親は年を取ると体だけでなく心も硬くなり、
考えを変えることが難しくなります。
親の不足を責めるのではなく、受け止める姿勢が必要です。

戦うことがすべて悪いわけではありません。
衝突を避けるために、親の要求をすべて受け入れることは問題です。
時には、神の栄光のために生きる道を示す戦いも必要です。
独立できないまま結婚すると、配偶者を親代わりにしてしまいます。

まとめると、

  • 子は親からあらゆる面で独立すべき

  • 時には戦い、子が親に教える必要がある

  • 時間やお金、労力を惜しんで親を捨てるのは間違い


4.聖書の教え③

従うべきは肉の親ではなく、魂の父である

ヘブル12章6節には、
「主は愛する者を訓練される」とあります。

毒親のもとに生まれたことさえ、訓練の一部です。
肉の父に理想を求め、被害者意識で生き続けるのはもったいないことです。
親を憎み、赦せないなら、その苦しみを自分も背負うことになります。

ヘブル12章9節では、
「魂の父に服従して、神に生きるべきではないか」と語られます。

私たちには、完全な父である神様がいます。
肉の両親に完璧さを求めるのは愚かです。
毒親を赦すことができるなら、他の多くの人も赦せるようになります。

つまり、

  • この世の父に期待しすぎるのは間違い

  • 本当に従うべき父は神様

  • 親との関係を訓練として受け取る


5.敬うためにすべきこと

私たちにできることは、神様に祈ることです。
人の力では不可能でも、神の力では可能です。
マリヤの祈り、イエスの祈りがその例です。

相手を変えようとするのではなく、
自分が変わるように祈ることです。
子が変われば、親も変わります。

神様が間に立たれるなら、直せない人間関係はありません。


6.結論

聖書はこう教えています。
どんな両親でも敬うべきですが、従うのは「主にあって」のみです。
子は両親から独立すべき存在であり、その過程には霊的な戦いがあります。
この世の親との関係は訓練であり、真の父は神様です。

私たちがすべきことは、
成人した子として、両親の弱さを認め、上手に関わること。
戦うために御言葉で武装すること。 

そして、真の父である神様が働かれるように祈ることです。​ 

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