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全てで主に従おう(創世記46:5–27)
고요한 2025-12-26 추천 0 댓글 0 조회 2

 

20230514早天祈祷会

聖書:創世記46:5–27(5–7、27)
題目:全てで主に従おう
賛美:560番

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회

聖書朗読(要約)

ヤコブはベエルシバを立ち、イスラエルの子らは、パロが送った車に父ヤコブと妻子を乗せました。
彼らは家畜と、カナンの地で得たすべての財産を携え、家族全員でエジプトへ向かいました。
エジプトに渡ったヤコブの家族は、ヨセフとその子どもたちを含めて、合計70人でした。


1.聖書解釈

まず5節を見ます。
「ヤコブはベエルシバを立った」とあります。ベエルシバは、カナンの地の最南端に位置する場所です。
つまりこれは、約束の地カナンを出て行く決断を意味しています。

今回の旅は、ヤコブの思いつきではありません。
神様ご自身が「恐れてはならない。わたしがあなたを大いなる国民とするために、エジプトへ下るのだ」と語られた、神の計画によるものでした(46章3節)。
アブラハムやイサクの時代には、エジプトに下ることは必ずしも良い選択ではありませんでした。しかし今回は違います。神様の明確な導きがありました。

また、彼らは「パロの送った車」に乗っています。これはパロの命令によるものであり(45章19節)、おそらく牛が引く台車だったと考えられます。
当時、外国人に大量の車を貸し出すことは極めて異例でした。しかし、ヨセフの存在ゆえに、特別な配慮がなされたのです。

6節では、ヤコブが家畜とすべての財産を持って、家族全員でエジプトへ向かったことが記されています。
実際、エジプトには十分な物資があり、財産を持って行く必要はありませんでした。それでもすべてを携えたのは、カナンの地に未練を残さないためでした。

ヤコブはエジプト行きを恐れていました。
エジプト人と同化してしまう危険、約束の地を忘れてしまう危険、さらには「あなたの子孫は異国の地で400年苦しめられる」という預言(創世記15章13節)もありました。
エジプトは文明力が高く、遊牧民を見下す文化を持っていました。これまで神様がエジプト行きを命じられたことはなく、ヤコブに命じられた移住は、かつてのパダン・アラム行き(28章2節)以来の大きな転換でした。

それでも神様は、恐れるヤコブを憐れみ、彼を導かれたのです。
神様によれば、敵と見える国でさえ、味方となります。ここでは、エジプトは敵対する国ではなく、神の計画を実現する舞台として描かれています。

7節では、息子、孫、娘、孫娘など、すべての子孫を連れて行ったことが強調されています。
これは、ヤコブが中途半端な従い方をしなかったことを示しています。
神様の呼びかけに応えるとき、私たちにも保険を残さず旅立つ覚悟が求められます。

27節では、エジプトへ行った者の数が70人であったと記されています。
66人に、ヤコブ、ヨセフ、そしてヨセフの息子マナセとエフライムを加えて70人です。
レアとラケルはすでに亡くなっていました。
出エジプト記1章5節でも同じく70人と記され、使徒の働き7章14節では、ヨセフの孫5人を含めて75人と説明されています。


2.ヤコブの決断

ヤコブは、これまで「行ってはいけない」と考えられていたエジプトへ行く決断をしました。
神様の言葉を信じ、最後の境界線であるベエルシバを越えたのです。

私たちもまた、これまでの常識や経験を覆して、神様に従う決断を求められることがあります。
ヤコブは失敗したときのための保険をかけて従ったのではありませんでした。
自分の考えを捨て、すべてを携えて、神様に完全に信頼して従いました。

その結果、70人だった一族は、出エジプトの時には60万人へと増やされました(出エジプト12章37節)。
全てで主に従う信仰が、大きな祝福へとつながったのです。


3.イエスの教え

イエス様はこう語られました。
「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、無意味にわたしを拝んでいる」(マタイ15章8–9節)

イエス様は、神様よりも人間の教えを優先する人々を厳しく戒められました。
私たちはこの世の知恵ではなく、神の知恵を優先すべきです。
ヤコブのように、自分の考えではなく、神様の考えを第一にする姿勢が求められます。


4.間違った親たち

現代には、子どもを人間の知恵で育てようとする親がいます。
自分の考えを基準にして、「父と母を敬え」「従え」と強要します。

しかし聖書は、「それゆえ、人は父と母を離れ、妻と結び合い、一体となる」と語っています(創世記2章24節)。
人は成人すれば結婚し、親から離れなければなりません。

親子関係と夫婦関係は全く別物です。
親子関係は一時的なものであり、夫婦関係は一生続くものです。
親は、子どもが自立できるように育てる責任があります。
子どもを自分の思い通りに洗脳することは、神の御心ではありません。

現実には、成人しても親離れできていない人々が多くいます。
それは、神の知恵ではなく、人間の知恵で育てられた結果でもあります。


5.結論

神の民の姿とは、自分の考えを捨て、全てにおいて神様に従うことです。
ヤコブがベエルシバを100%の覚悟で越えたように、私たちも中途半端ではなく、全き従順をもって神様に従うとき、それが信仰となります。

また、子どもを育てるときも、人間の知恵ではなく、神様の知恵によって育てることが求められています。 

そのとき、神様は私たちの従順を用いて、想像を超える祝福を成し遂げてくださるのです。​ 

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