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『こどもっぽい』を捨てよう(列王記上21:27–29)
고요한 2025-12-27 추천 0 댓글 0 조회 2

 

20230526金曜祈祷会

聖書:列王記上21:27–29
題目:『こどもっぽい』を捨てよう

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회

はじめに

今日のテーマは「こどもっぽさ」と「こども心」の違いです。
聖書は、私たちに二つのことを同時に求めています。
一つは、善悪の判断基準を神様に置くことのできる大人らしさ
もう一つは、神様を自分の人生の父として純粋に迎えることのできるこども心です。

イエス様はこう言われました。
「見なさい。わたしはあなたがたを羊を狼の中に送るようにして遣わす。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」(マタイ10:16)

この御言葉を手がかりに、列王記に登場するアハブ王の姿から学びたいと思います。


1.何をもって「大人」と言えるのか

私たちは普段、「大人」という言葉をどのように使っているでしょうか。
社会的に成功している人、判断が早い人、自信に満ちた人を「大人」と呼ぶことが多いかもしれません。

英語には「Childish(こどもっぽい)」と「Childlike(こども心を忘れない)」という二つの言葉があります。
「Childish」は否定的な意味を持ち、未熟な振る舞いをする人を指します。
一方、「Childlike」は肯定的な意味で、計算高くなく、純粋な心を持つ人を表します。

聖書は、「こどもっぽさ(Childish)」は捨てなさいと教える一方で、「こども心(Childlike)」は失ってはならないと語ります。

ヘブル人への手紙5章13–14節にはこうあります。
「すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。しかし、固い食物は、善悪を見分ける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。」

善悪の判断基準を神様ではなく自分に置いている人、それが聖書の言う「Childish」な人です。
自分に良くしてくれる人は善人で、良くしてくれない人は悪人。
まるで「お菓子をくれる人についていく子ども」のような判断です。

このように善悪の判断において未熟であるなら、神の義を本当の意味で味わうことはできません。

一方、イエス様はマルコ10章14–15節でこう言われました。
「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。」

子どものように素直でなければ、神の国に入ることはできません。
父の言うことを疑わずに聞き、母の作った食事をそのまま受け取る子どものような心です。
計算高くなり、疑い深くなると、信仰を持つことは難しくなります。

つまり私たちは、神様を求める心においては計算のない素直さを持ちつつ、神様に従うためには善悪を見分ける感覚において成熟する必要があるのです。


2.「こどもっぽい」代表、アハブ

アハブ王は、外側から見ると非常に有能な王でした。
イスラエルを豊かにし、レバノン杉の供給地やエジプトへの通商路を確保しました。
フェニキアの象牙加工技術を導入し、十二か国連合軍の主力としてアッシリアを撤退させた実績もあります。

一見すると、立派な「大人」のように見えます。
しかし、彼の偉業はすべて、神様との関係を無視して成し遂げられたものでした。
神の国を治める王としては、完全に失格です。

彼はバアル信仰を導入しました。
「自分に都合のよいものが正しい」という価値観、これはまさにChildishな姿です。

その象徴が、ナボトのぶどう畑事件です。
アハブは宮殿のそばにあるぶどう畑を金で買い取ろうとしましたが、ナボトは断りました。
「先祖からの嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてできない」と。

するとアハブは機嫌を損ね、寝込み、食事も取らなくなりました。
自分の思い通りにならないだけで感情を爆発させる姿は、まさに子どもそのものです。

「こどもっぽい」人は、神様の考えを優先することができません。
すぐに辞めてしまう従業員のように、忍耐も責任もありません。


3.利用される「こどもっぽさ」

このアハブの弱さを利用したのが、妻イゼベルでした。
彼女は町の長老や貴族に命令し、「ナボトは神と王を呪った」と、二人の偽証者に嘘の証言をさせました。

申命記には二人以上の証人が必要だとありますし、レビ記では神を呪う者は石打ち刑です。
イゼベルは神の律法を逆手に取り、合法的にナボトを殺し、ぶどう畑を奪いました。

引きこもっていたアハブは、主人を失った畑を見て、平然と外に出て行き、自分のものにしようとします。

そこで神様はエリヤを遣わし、厳しい裁きを告げました。
しかしその言葉を聞いたアハブは、衣を裂き、荒布をまとい、断食を始めます。
ここで彼は初めて、自分の「こどもっぽさ」に気づき、神の前にへりくだりました。

その結果、神様は「彼の生きている間は災いを下さない」と語られました。


4.「こどもっぽさ」を捨てよう

イエス様は迫害を受ける弟子たちに、「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」と語られました。
これは「時には賢く、時には素直に」という意味ではありません。
善悪を判断できる知恵と、神様との関係を純粋に楽しむ心の両方を持ちなさいという教えです。

パウロもこう言っています。
「物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になりなさい」(Ⅰコリント14:20)

善悪の判断基準を自分に置きながら、神様との純粋な関係を失った人々と、イエスやパウロは戦っていました。


5.「こども心」を持ち続けよう

ある牧師は、「礼拝も聖書勉強も奉仕も、教会での関係が楽しいから牧師になった」と語りました。
忙しさの中で、私たちはこの「楽しい心」「こども心」を失いやすいのです。

神様は、私たちが悔しさや計算ではなく、素直な心で近づくことを望んでおられます。


6.まとめ

アハブの問題は、善悪の判断基準を自分に置く「こどもっぽさ」でした。
その結果、イゼベルに操られ、罪を重ね、最終的には一族の滅亡を招きました。

神様が望んでおられるのは、
善悪の判断基準を神様に置く「大人らしさ」と、
神様を人生の主として純粋に迎える「こども心」です。

アハブと同じ道を歩まないために、 

「こどもっぽさ」を捨て、「こども心」を忘れない者となりましょう。 

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