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キリストの新婦(エペソ5:31–32)
고요한 2025-12-28 추천 0 댓글 0 조회 2

 

20230611青年部礼拝

聖書:エペソ5:31–32
題目:キリストの新婦
賛美:그리스도의 신부

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회

「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
ふたりの者は一体となるべきである。」
この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。

結婚は、単に人が幸せになるための手段の一つではありません。
神様は、結婚という制度を通して、私たちが神様と人間との関係を学び、神様の民として成長することを望んでおられます。
感情や「感じ」を土台にした人間的な愛ではなく、犠牲と約束を土台にした神様の愛によって愛し合える結婚相手を探すべきなのです。


1.結婚について学ぶ必要性

まず、私たちは結婚について正しく学ぶ必要があります。なぜなら、教会の中でさえ、世俗的な結婚観聖書的な結婚観が混ざり合ってしまっているからです。

世俗的な結婚観とは、神様と関係のない結婚のことです。
神様のためではなく、自分の幸せのためだけに考えられる結婚です。
「信者同士でさえあればよい」という理解も、決して十分ではありません。

日本で行われた調査によると、結婚の理由の上位は、「信頼できるパートナーが欲しい」「一生独身は嫌で寂しい」「周りに独身者がいないから恥ずかしい」といったものです。
また、結婚式を挙げる理由としては、「人生のけじめ」「親孝行」「祝福してもらいたい」「世間体」が挙げられています。

これらに共通しているのは、人の視線を気にし、何かを得て幸せになりたいという動機です。
そして、教会の中でも同じ理由で結婚が勧められ、結婚が行われている現実があります。
「いい年だから」「恥ずかしいから」「今まで苦労したのだから幸せになりなさい」といった言葉が、何の疑問もなく語られています。

その結果、神様の思いに反した結婚が、当たり前のようになっています。
未信者との結婚の深刻さが十分に教えられず、結婚そのものが手段ではなく目的になってしまっています。
そのため、本来悩まなくてよいことで悩むようになります。
「自己実現か、自己犠牲か」「信仰生活か、家庭生活か」という二者択一に苦しみますが、そもそもこの問い自体が間違っています。

さらに、このような間違った結婚観は、青年たちに深い傷を与えています。
「なぜ結婚しないのか」「信者の義務ではないか」と、既婚者が上で未婚者が下であるかのような空気が生まれます。
その結果、未婚の人々は不必要に苦しめられ、いつの間にか結婚そのものが偶像になってしまうのです。

だからこそ、失敗しないために、そして傷つかないために、私たちは結婚を正しく理解する必要があります。
人を変えることはほとんど不可能であり、大変な労力を要するからです。


2.正しい聖書的結婚観とは何か

まず第一に、結婚は人が作った制度ではなく、神様が作られた制度です。
聖書は「人は父母を離れて妻と結ばれ、二人が一体となる」と語っています(創世記2章24節)。

神様が作られた結婚を、神様抜きに語ってはなりません。
イエス様も「神が合わせたものを、人が離してはならない」と語られました。
当時の結婚は両親が決めるものでしたが、その背後にも神様の御心がありました。

聖書は、夫婦の関係が最も大切な人間関係であることを教えています。
神様は「人が一人でいるのは良くない」と言われ、友人関係や親子関係より先に、夫婦の関係を作られました。
人は、「神と人」との縦の関係だけでなく、「人と人」との横の関係によって成り立っています。
イエス様が語られた「第一に神を愛し、第二に隣人を愛しなさい」という戒めの中で、最も近い隣人が結婚のパートナーなのです。

独身そのものが悪いわけではありません。重要なのは、その理由です。
イエス様もパウロも独身でしたが、結婚について明確に語っています。
キリスト者であるなら、結婚するかしないかの選択も、神様のためになされるべきです。
結婚を無視することは、神様を無視することと同じなのです。

第二に、結婚はキリストと教会との関係を知るための制度です。
エペソ書は、結婚を「偉大な奥義(メガス・ムステリオン)」と呼び、それがキリストと教会を指していると語ります。
キリストが新郎であり、教会である私たちが新婦です。
ここで「私たち」ではなく「教会」と表現されているのは、共同体としての関係の重要性を示しています。

夫は妻を自分自身のように愛し、妻は夫を敬うように命じられています。
神様は、御子を犠牲にするほど私たちを愛され、私たちはその神様を礼拝し、従います。
この関係を、夫婦関係を通して学ぶために、結婚が与えられているのです。

相手の喜びが自分の喜びにならないのであれば、その人は結婚すべきではありません。
自分を喜ばせるための結婚も、すべきではありません。
神様との関係を学ばない結婚には、本来の意味がないのです。

第三に、結婚は神の国にふさわしい神の民になるための訓練の場です。
神様は、しみやしわのない、清く傷のない教会を迎えようとしておられます。

そのために、私たちは変えられなければなりません。
そのままの姿では、神の国に入ることができないからです。
神の愛を知り、キリストに似た者となる必要があります。
エジプトを出たイスラエルの民が、荒野で訓練されたようにです。

結婚における自己犠牲と約束を通して、私たちは神の愛を学びます。
神は独り子を与えるほど、この世を愛されました。
キリストの犠牲によって、私たちの罪は赦されました。
それを、結婚生活を通して体験的に知るのです。

特に子どもが生まれると、自己犠牲なしには家庭は成り立ちません。
自己犠牲と約束によって、信仰の家庭が築かれ、永遠に続く神様の愛を経験することができます。
それは感情や一時的な「感じ」ではなく、犠牲と約束に立つ愛です。

自己実現か自己犠牲か、家庭か教会か、という選択ではありません。
自己犠牲によってこそ自己実現があり、教会を優先することで家庭は守られます。

さらに、自己犠牲と約束に立つ愛によって、子どもを神の民として育てていきます。
子どもは、学校や教会よりも、家庭から最も大きな影響を受けます。
信仰を作るのは教会ではなく、家庭です。
家庭は小さな神の国なのです。

私たちは、幸せや平安がどこにあるのかを教えなければなりません。
それはお金や良い学校、良い職場ではなく、神の国の中にあります。

結婚は、神の国が崩れる前の平安の中で生まれた制度です。
人間の考えで、それを汚してはなりません。
結婚もまた、個人的な利益のためではなく、神の国に入るための一部なのです。


3.どのような相手と結婚すべきか

神様が喜ばれる結婚とは、神様を無視する人ではなく、神様に優先順位を置く人との結婚です。
結婚という制度を作られたのが神様である以上、神様のために結婚すべきだからです。
「教会を取るのか、自分を取るのか」と迫る未信者の配偶者は、その例外です。
人間的な愛ではなく、神様の愛で愛せる相手を選ぶべきです。

また、価値観が違っても、互いを理解し、認め合える人であることが大切です。
自分の思い通りにならない相手を批判し、理解も許しもしない人とは、結婚すべきではありません。

さらに、自分の利益のためではなく、相手のために喜んで犠牲になれる人です。
自分の要求を一方的に押し付け、犠牲を嫌い、相手を変えようとする人とは、結婚すべきではありません。


4.まとめ

結婚は、神様のために与えられた制度です。
それは神様の栄光のためであり、キリストと教会との関係を知るためであり、神の国の民となる訓練のためです。

結婚相手として選ぶべきなのは、誰よりも神様に優先順位を置く人、互いの価値を認め尊敬できる人、そして家庭のために互いに犠牲を払える人です。

聖書的な結婚観を正しく知り、世俗的な結婚観に振り回されないようにしましょう。
私たちがキリストの新婦であることを忘れずに、生きていきましょう。

 

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