20230718早天祈祷会
聖書:出エジプト18:8-12
題目:和解の食事
賛美:369
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.本文解説
8節
モーセは、主がイスラエルのためにファラオとエジプトに対してなさったすべてのこと、また道中で彼らが経験したあらゆる苦しみ、そして主が彼らを救われたことを、すべてしゅうとエテロに語った。
① 話した内容
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エジプトでの十の災い、海が分かれた出来事。
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荒野の旅において、水がない、パンがないという苦難。
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アマレク人との戦いなど、数々の困難。
9節
エテロは、主がイスラエルをエジプト人の手から救い出し、大きな恵みを与えられたことを聞いて喜んだ。
① エテロが喜んだ内容
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主がエジプト人の手からイスラエルを救い出してくださったこと。
10節
エテロは言った。「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプト人の手から、またファラオの手から救い出された。」
① 異邦人の賛美
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イスラエル人を通して、異邦人が主を賛美している。
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シバの女王はソロモンを通して神を知り、
バビロンやメディアの王たちはダニエルを通して神を知った。 -
ラハブやギブオンの人々も、イスラエルを通して神を知った。
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アブラハム契約のとおり、イスラエルを通してすべての民族が祝福を受ける。
未信者も、私たちを通して神を知る。
例:「神がいるなら見せてみろ!」
11節
「今こそ私は知った。主はすべての神々にまさって大いなる方である。彼らがイスラエルに向かって高慢に振る舞ったそのことにおいて、主は彼らに打ち勝たれた。」
① 高慢な振る舞い
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エジプトの権力者たちの態度は、まさに傲慢であった。
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お金がある、権力がある、能力があるからといって、偉ぶってよい理由にはならない。
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主なる神にこそ主権がある。
教会の中でも、個人の能力だけで奉仕の価値を測るのは危険である。
会社でも、傲慢な社長に人はついて行かない。
② 「神様がいるなら見せてみろ!」という問いに対して
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風は見えないが、揺れる木を見てその存在が分かる。
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愛も、赤子を抱きしめる母親の姿を見て知ることができる。
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同じように、神の存在は私たちの人生を通して示すことができる。
12節
エテロは燔祭と犠牲のいけにえを神にささげ、アロンとイスラエルのすべての長老たちが来て、モーセのしゅうとと共に、神の前で食事をした。
① 燔祭と犠牲
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エテロは神様へのささげ物を携えて来た。
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口先だけの賛美ではなく、実際のささげ物を持ってきた。
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神様が喜ばれる方法を知っていた。
例:礼拝で「何かを得よう」とする人々。
② 神の前で共に食事をした
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信者と未信者との交わりがここにある。
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同じものを食べることは、互いが一つになることを意味している。
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教会での食事は、ただ空腹を満たすためのものではない。
主にあって交わることが目的である。
2.適用
① パウロの叱責(Ⅰコリント11章20節以下)
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主の晩餐が正しく守られていなかった。
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勝手に先に食べる者がいて、飢えている人や酔っている人がいた。
それは家庭での食事とは意味が違う。 -
食事のために集まる時は、互いに待ちなさい。
それができないなら、家で食べる方がよい。
② 神とイスラエルが契約を結んだ後(出エジプト24章9−11節)
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74人(モーセ、アロン、ナダブ、アビフ、70人の長老)は神を「見た」。
実際に神ご自身を見たのではなく、神が立っておられる場所を見たのである。
神を直接見れば人は生きられない。
「人はわたしを見て生きることはできないからである。」
(出エジプト33章20節) -
神が立っておられた場所は宝石のようであった(보석)、きのこ(버섯)ではない。
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そして彼らは食事をした。
神は人と交わるための時間を持たれた。 -
和解のいけにえ(雄牛)の肉を食べた。
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契約の後には、共に食事をすることが一つのセットとなっている。
彼らが死ななかったのは、血の契約の中にあったからである。 -
食事には、関係を新しくする意味がある。
ヤコブとラバンは石塚を築き、共に食事をした。
復活のイエスとペテロも、和解の食事を共にした。 -
イエスが「大食漢、酒飲み」と呼ばれたのは、単なる欲張りだったからではない。
(glutton, drunkard/대식가, 술고래:ルカ7章34節)
「彼には見るべき姿も麗しさもない。」(イザヤ53章2節)
3.まとめ
① エテロは、モーセとイスラエルの姿を見て神様を認めた。
② モーセはエテロをもてなし、神様の前で共に食事をした。
③ 私たちの信仰の姿を示すことが、神様の存在を証明することとなり、伝道となる。
私たちも、信じない家族を神様の前に連れて来て、共に礼拝し、共に食事をすることができるなら、神様は大いに喜ばれる。


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