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正義と公正(出エジプト23:1–9)
고요한 2026-01-03 추천 0 댓글 0 조회 47

 

20230730早天祈祷会

聖書:出エジプト23:1–9
題目:正義と公正(정의와 공정)
賛美:262番

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


本文解説

この箇所では、大きく三つの事柄について神様の御心が語られています。
それは「裁判」「動物」「外国人(在留異国人)」についてです。


1.裁判について(1–3節、6–8節)

まず神様は、裁きにおいて正義と公正を守ることを命じておられます。

偽りの噂や証言をしてはならず、無実の人を訴えてはなりません。また、悪者と結託して、悪意ある証人になってはいけません。たとえ悪者から圧力を受けても、真実を語ることが求められています。

さらに、多数派の意見に流されて悪を行ってはならないと命じられています。権力者や大勢の人々の味方をすることも、逆に貧しい人だからといって不当な肩入れをすることも禁じられています。どのような圧力の中でも、真実を証言することが神様の御心です。

兄弟や家族だからといって、大目に見たり、えこひいきしたりしてはいけません。神様の前では、血縁関係や立場は関係ありません。イエス様ご自身も、家族だからという理由で特別扱いをなさいませんでした。

また、賄賂を受け取ってはなりません。賄賂は特に金銭的に弱い人々を苦しめます。貧しい人への憐れみは大切ですが、罪を罪として扱わないこととは別問題です。正義と感情を混同してはならないのです。


2.動物について(4–5節)

次に神様は、敵の持ち物であっても、動物に対して誠実に対応することを命じておられます。

もし敵の牛やろばが道に迷っていたなら、そのままにせず、必ず持ち主のもとへ返さなければなりません。また、重荷を負って倒れているろばを見たなら、見て見ぬふりをせず、助け起こさなければなりません。

その動物には何の罪もありません。所有者との関係が悪いからといって、動物を無視することは正しくないのです。神様は、人だけでなく、動物に対しても愛と責任をもって接することを望んでおられます。


3.在留異国人について(9節)

神様は、外国人を虐げてはならないと、ここで改めて命じておられます。この命令は出エジプト記22章21節ですでに語られていましたが、再度繰り返されています。それほど重要な戒めなのです。

イスラエルの民自身が、かつてエジプトで寄留者として苦しめられてきました。その経験を知っているからこそ、同じことを他者にしてはならないのです。

神様は弱い者いじめを憎まれます。
ソドムとゴモラの町においても、苦しむ人々の叫び声を聞かれました。
また、イスラエルの民がエジプトで苦しんだ時、その叫びを確かに聞かれたのです。


適用:正義の中にある愛

今日読んだ短い律法の中には、はっきりと正義と愛の両方が示されています。

正義とは、真実を語り、嘘をつかず、誰の味方にもならないことです。
愛とは、動物を助け、外国人をいじめないことです。
聖書は、正義と愛が対立するものではなく、両立することを教えています。

私たちの天の父なる神様ご自身が、正義と愛を完全に併せ持つお方です。そこには矛盾がありません。神様は誰かの利害の味方になることなく、常に真実の側に立たれます。一見すると冷たく感じることがあっても、それは真実なる神様の側に立っているということなのです。

神様は、悪魔の側にも、お金の側にも、この世の側にも立たれません。神様の側に立つなら、すべては神様ご自身が解決してくださいます。

「正義か、愛か」と悩んでしまうのは、人間が不完全だからです。完全な正義である神様を抜きにして考えるから、話が複雑になるのです。不完全な人間の正義も愛も、どちらも限界があります。しかし、完全な神様の側に立つなら、正義と愛は矛盾せず、共に成り立ちます。

例えば、倒れている女性を助けたら訴えられるのではないか、という不安があります。日本では、心臓疾患で毎日約200人、7分に1人が亡くなっています。しかし、実際に救助したことで訴えられた事例はありません。それでも、4割の男性が女性を助けることをためらうと答えています。

隣人愛による救助か、セクハラを避けるための法律遵守か。
昔、タイの王妃が自分に触れることを禁じる法律を作り、その結果、溺死してしまったという例もあります。
人間の側に立って考えると、選択を誤ってしまうのです。

だからこそ、神様の側に立って行動することが大切です。
キリストの律法に従い、隣人を愛するために助けに行く。それでよいのです。

例えば、自分の子どもが事故を起こして人を死なせてしまった場合、かわいそうだからといって隠すのは、人間の側に立った判断です。正義と公正を無視した人間の愛は、かえって危険です。神様の側に立ち、正しく自首させることが求められます。その後のことは、神様が処理してくださいます。

神様の側に立つこと、それが正義と公正(정의와 공정)を選ぶということです。
自分を喜ばせるためではなく、神様を喜ばせることが、私たちの行動原理になるべきなのです。

罪を恐れて何もできなくなってしまう聖徒がいますが、それは行動原理が神様ではなく自分にあるからです。パリサイ人のように自分中心になると、かえって身動きが取れなくなります。神様中心の考え方へと、変えられる必要があります。


結論

律法の中には、正義と愛が確かに両立していることを見ることができます。
神様ご自身がそうであるように、完全な正義と愛は調和しています。

人間の不完全な正義と愛は、時に対立します。しかし私たちは、完全な神様の正義と公正(정의와 공정)を愛し、自分が喜ぶものではなく、神様が喜ばれるものを選んで生きる者とされました。

神様の側に立つこと、それこそが正義です。 

今日も、正義と公正そのものである神様を愛し、神様の側に立って歩んでいきましょう。​ 

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