20230813早天祈祷会
聖書:出エジプト29:28-40
題目:祭司の任職式の捧げ物
賛美:213
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書朗読(要旨)
神は、和解のいけにえの一部を永遠の取り分として、アロンとその子孫に与えることを定められました。祭司の衣は代々受け継がれ、任職式は七日間行われます。
任職式では、指定されたいけにえの肉と種を入れないパンを、会見の幕屋の入口で食べます。残ったものは火で焼かなければなりません。これは聖なるものだからです。
また、祭壇は七日間、毎日罪のためのいけにえによって清められます。祭壇の上では、朝と夕に一歳の雄羊を捧げ、細かい麦粉、油、ぶどう酒を添えて全焼のささげ物とします。これは、主にささげる常供のいけにえです。
1.本文解説
① 祭司の任職式(임직식)に必要な三つの生贄(제물)
❶ 一頭の雄牛(罪を清めるための生贄:10〜14節)
アロンとその子らは雄牛の頭に手を置き、自分たちの罪を移します。その後、雄牛は屠られ、その血は祭壇に注がれ、罪の清めが行われます。
脂肪(지방)は祭壇で焼かれ、煙(연기)として主に献げられます。これは最上のものを神に捧げることを意味します。一方、肉(살)、皮(가죽)、汚物(오물)は宿営(숙영)の外で焼かれます。これはキリストの体を象徴しています。
なぜ雄牛なのか
雄牛は、自分が所有する中で最も高価(고가)なものです。それほどまでに、自分が罪人であり、弱い存在であるという認識が、祭司には必要だったのです。
❷ 一頭の雄羊(全焼〈전소〉の生贄:15〜18節)
アロンとその子らは雄羊の頭に手を置き、罪を移します。雄羊は屠られ、血は祭壇に注がれます。その後、肉は部分ごとに切り分けられ、内臓と足は洗われ、すべてが祭壇の上で焼かれ、煙として主に献げられます。
これは、神への感謝と全面的な献身を象徴しています。
なぜ羊なのか
羊は、一人では何もできない存在であり、私たち自身の姿を表しています。
なぜ全焼なのか
すべてが神のものである、という信仰告白を意味しています。
❸ もう一頭の雄羊(和解〈화해〉の生贄:19〜21節)
アロンとその子らは、この雄羊の頭に手を置き、罪を移します。雄羊は屠られ、その血はアロンとその子らにつけられます。
右の耳たぶ(귓불)
右手の親指(엄지 손가락)
右足の親指(엄지 발가락)
これは全的献身を表しています。右は権威を示し、耳は神の言葉を聞くこと、手は神の御業を行うこと、足は神の使命を運ぶことを意味します。すべてが清められる必要がありました。
残りの血は祭壇の周りに注ぎかけられ、さらに、祭壇の血と注ぎの油は祭司たちの衣に振りかけられます。肉は後で食べるために残されます。
② 種(효모)を入れない三種のパン(22〜25節)
パンはアロンとその子らの手のひらに載せられ、主に向かって前後に揺り動かされます。これは、神に捧げることを意味します。(英語では Bread, Cake, Wafer)
これらは第三の生贄である雄羊の脂肪とともに、祭壇の上で焼かれ、煙(연기)として献げられます。
雄羊の胸肉ともも肉は、祭司の取り分となります(26〜28節)。
祭司たちは、幕屋の入口で雄羊の肉を煮て食べます(31〜34節)。火で焼くことは罪が燃え尽きることを意味するため、残ったものを食べる際には水で煮ます。その肉とともに、かごの中の残ったパンを食べます。
他の者がこれを食べてはならず、残った肉やパンは火で焼かなければなりません。
食事は、主との親密な交わりと和解を象徴しています。
③ 祭壇の清め
任職式は七日間行われます。
毎日、罪のための生贄が捧げられます。
朝九時に雄羊一頭、夕方三時に雄羊一頭が献げられます。
それぞれに、オリーブ油と小麦を混ぜたもの、ぶどう酒が添えられ、火祭とされます。
パンとぶどう酒は、生命を捧げることを象徴します。
(エレミヤ書7章では、これらを天の女王に捧げる民の姿に、神は怒りを示されました。また44章では、ヨシヤ王の時代にそれが禁じられていたことが語られています。)
動物の生贄は、罪があるかどうかが「生きるか死ぬか」に関わる重大な問題であることを、人々に示していました。
2.適用
① 祭司の務めとキリストの務めの対比
ヘブル人への手紙10章11〜14節
旧約の祭司は死によって務めを継承しますが、キリストは復活されたため、その必要がありません。
祭司は毎日立って務めをしますが、キリストは神の右の座に着いておられます。
祭司はいけにえを繰り返し捧げますが、キリストはいけにえを一度だけ捧げられました。
祭司のいけにえは罪を除くことができませんが、キリストのいけにえはそれを完全に成し遂げました。
祭司の生贄はキリストの影であり、それ以上に完全な捧げ物はありません。
私たちは、その救いを無償で与えられています。
② 現代社会への適用
祭司の清めは、選ばれた者であっても清めが必要であることを教えています。神の前に出るとき、必要なのは特別な能力ではなく、心を清める備えです。自分の考えを捨て、神の方法に従うとき、神の御心が見えてきます。
全焼の生贄は、神への感謝と献身を表します。感謝や献身は空手ではなく、捧げ物に心が表れます。
和解の生贄は、食事を通して神と和解することを示しています。私たちの最終的な目標は、神との和解です。
祭壇の清めは、神と出会う場所そのものも大切であることを教えています。新約時代において、私たちは一人一人が祭司です。
旧約の形式をそのまま真似るのではなく、その背後にある心を学び、同じ思いで神に礼拝を捧げていきましょう。


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