20231203青年部礼拝
聖書:マタイ1:1-17
題目:イエスの系図
賛美:Living Hope
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
導入の問い
あなたが希望を置いている人は、どのような人ですか。
Ⅰ.この世の系図の意味
1.この世の系図の特徴
この世における系図には、いくつかの特徴があります。
第一に、系図は出生を証明するものであり、正確な記載が求められます。
第二に、清く正しい血統であることを証明するため、都合の悪い部分は隠される傾向があります。
第三に、基本的には「人」、特に男性のみが記載されます。
2.この世の系図の目的
系図の目的は、自分のルーツを知ることにあります。
アイデンティティの問題を解く最も確かな方法は、「最初」にまで遡ることです。
しかし、イエス・キリストの系図は、この世の系図とは大きく異なります。
そして、その「違い」そのものに、深い意味があるのです。
Ⅱ.イエスの系図の意味
1.この系図は何を目的としているのか
イエスの系図の目的は、系図を通して「イエスが誰であるのか」を明らかにすることです。
マタイ1章1節に出てくる「ゲネシス」という言葉は、「起源」を意味します。
つまり、マタイの福音書は、イエスの起源について語る書物なのです。
この系図によって、イエスが突然現れた存在ではないことが分かります。
特にユダヤ人にとって、系図は極めて重要なものでした。
マタイがアブラハムとダビデの名前を明記したのには理由があります。
アブラハムを通して、「すべての民族に祝福をもたらす」という約束が与えられました(創世記12:1–3)。
ダビデを通しては、「永遠に続く神の国を建てる」という約束が与えられました(Ⅱサムエル7:12–13)。
イエスを通して、これらすべての約束が成就します。
この系図は、イエスが明確な目的をもって生まれた方であることを示しています。
2.なぜマタイはダビデ王を強調したのか
(1)なぜ14代ずつに区切ったのか
マタイは、系図を意図的に14代ずつにまとめています。
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アブラハムからダビデまでの14代:王国の成立
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ダビデからヨシヤまでの14代:王国の堕落
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バビロン捕囚(エコニヤ)からイエスまでの14代:王国の回復
これは偶然ではありません。
ダビデの名前のゲマトリア(DWD)が「14」になるため、ダビデを中心に構成されているのです。
(2)なぜダビデを重複させたのか
古代の数え方の影響もありますが、最大の理由は「ダビデに焦点を当てるため」です。
マタイは意図的に、ダビデ王を中心に据えています。
(3)なぜ「ダビデ王」とわざわざ書いたのか
当時の人々は、「ダビデの子孫がメシアである」ことを知っていました。
つまり、イエス・キリストが、約束されたダビデ王の子孫として来られた王であることを明確にするためです。
3.なぜマタイは女性の名前を書いたのか
男性中心社会で、血筋を重視するユダヤ人にとって、女性の名前を系図に入れることは非常に異例でした。
しかも、信仰的に「模範的」とは言いにくい女性たちが記されています。
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タマル:カナン人、遊女
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ラハブ:カナン人、遊女
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ルツ:モアブ人、やもめ
さらに男性たちも問題だらけでした。
すべての王が、永遠の王国に関する約束を破っています。
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バテシバ:ヘテ人であり、ダビデの罪を想起させる存在
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ダビデ王:ウリヤの妻を犯し、罪を隠すために殺害
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信仰の父アブラハム:もとは偶像崇拝者
これらすべては、イエスが「外国人、罪人、やもめを含む、すべての人を救うために来られた」ことを示しています。
また、ヨセフを紹介する際に「マリヤの夫」と表現しているのも重要です。
イエスはヨセフの血を引いていないためであり、堕落後の人間に対する神様の約束(創世記3:15)を思い起こさせるためです。
4.なぜ人ではなく「バビロン」という言葉を用いたのか
これは、当時のユダヤ人の置かれていた状況を説明するためです。
バビロン、ペルシャ、ギリシャ、シリヤ、ローマと、400年以上にわたって支配が続きました。
民族のアイデンティティを失うには十分すぎる環境でした。
一つの民族が他国に追い出され、異民族と結婚すれば、自然に消えてしまいます。
エドム人がその一例です。
マタイは、イエスがこの「捕囚の状態」を終わらせるメシアであることを示しています。
ただしそれは、ローマからの政治的解放ではなく、罪と死からの解放です。
5.この系図から分かること
この系図を通して、次のことが明らかになります。
1.イエスは、神様の約束を果たすために来られた子孫である。
2.イエスは、神の王国の王である。
3.イエスは、すべての人にとっての救い主である。
4.イエスは、罪と死からの解放者である。
Ⅲ.私たちへの適用
1.イエスの系図は私たちのためでもある
イエスの系図には、異邦人も、罪人も、地位の低い人も含まれています。
イエスは、「天の父の御心を行う者は、誰でもわたしの家族である」と言われました(マタイ12:50)。
イエスをメシアとして受け入れるなら、私たちはアブラハムの信仰を受け継ぐ家族となります。
善人だから救われるのではありません。
血筋や聖さによるのでもありません。
イエスを通して、すべての人が救われるのです。
レビ記にある「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でありなさい」という言葉は、
「清くなければ救われない」という意味ではありません。
「すでに救われた神の家族として生きなさい」という意味です。
2.私たちは神の家族として神の国に生きる存在
私たちは、神の国の中で、聖霊の導きによって自由に生きる存在です。
神を愛し、隣人を愛する生き方が、それを表しています。
私たちはすでに捕虜生活から解放されています。
それなのに、罪と死を恐れて生きるのは、あまりにももったいないことです。
自分のためだけに必死に生きる捕虜のような存在ではありません。
3.自分のアイデンティティをはっきりさせよう
イエスに従う者は、必然的に分離や排除を経験します。
しかし、自分が神の国の住人であることを覚えていれば、私たちは自由に生きることができます。
これを「ポジショナル・トゥルース(Positional Truth)」と言います。
私たちは、聖殿や会堂や結婚式といった制度に縛られる存在ではありません。
この自由は、御言葉を実行する中で、実感として知ることができます。
Ⅳ.まとめ
1.イエスの系図は、イエスが約束された神の国の王であり、救い主であり、解放者であることを示しています。
2.イエス・キリストをメシアとして受け入れた者は、イエスの系図の一員となります。
3.神の家族の一員としてのアイデンティティをはっきりさせて生きてください。
私たちは、神の国の中で、罪と死から解放され、自由と平安のうちに生きる存在です。


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