20240204早天祈祷会
聖書:申命記12:15-32
題目:血は生命
賛美:380番
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.本文解説 ― 申命記12章に示される神の教え
① 肉を食べてよいという恵み
神様は、主が定めた清い動物に限り、その肉を食べて楽しむことを許されました。
それは特別な日だけではなく、自分が食べたいと思う時に、必要に応じて食べることができるという自由でした。
さらに、イスラエルの領土が拡大された後であっても、彼らは心の望むままに肉を食べることが許されます。
これは、神様が人間の生活と必要をよくご存じであることを示しています。
実際、野菜だけでは生きていくことはできません。
ビタミンB12、タンパク質、鉄分、カルシウムなど、人が健康に生きるために必要な栄養素があります。
神様は、禁欲を目的とした律法ではなく、命を支えるための現実的な教えを与えておられるのです。
② 血を食べてはならない理由
一方で、神様ははっきりと命じられました。
「血を食べてはならない」。
その理由は明確です。
血は生命であり、生命は神様のものだからです。
捧げ物をする際も、血は神様に捧げられ、肉の一部だけが祭司に与えられました。
当時の偶像崇拝者たちは、力を得るために血を飲むという習慣を持っていましたが、神様はそれを明確に否定されました。
神様が「正しい」とされることを正しいと受け入れて生きるなら、その祝福は自分だけでなく子孫にも及びます。
しかし、自分の判断を基準にして生きるなら、そこには必ず問題と罰が生じます。
この教えは、親が子どもを守るために危険なものを制限する姿に似ています。
たとえば、
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はちみつ(乳児ボツリヌス症)
-
刺身(菌の問題)
-
もち(喉に詰まる危険)
-
コーヒー(カフェイン)
制限は命を奪うためではなく、命を守るためなのです。
③ 偶像をすべて捨てなさい
神様は、偶像を完全に捨てるよう命じられました。
偶像は罪の原因となるため、その環境を残しておいてはいけません。
たとえば、モレクという偶像は、子どもを火で焼いて捧げるという恐ろしい儀式を伴いました。
一度放置すると、「やってみたい」という思いが芽生え、やがて習慣化してしまいます。
偶像崇拝の本質は、
自分が主権者となり、自分を判断基準にすることです。
礼拝の仕方は、この世と区別されたものであるべきです。
「自分は大丈夫だ」と思うこと自体が、最も危険です。
たとえば、
男性を過剰に賞賛し、言うことを何でも聞く女性がいるバーのような場所は、信仰にとって非常に危険な環境となり得ます。
2.新約聖書から見る「血と生命」
① 新約においては、すべての食べ物が許されている
イエス様は言われました。
「人を汚すのは、外から入るものではなく、人の中から出るものだ」(マルコ7:15)
また、
「わたしの肉を食べよ」(ヨハネ6:53)
これは、新しい契約を指し示す言葉です。
私たちは、肉を含め、基本的にどんなものでも食べることができます。
しかし、本当に食べるべきものは、神様の御言葉であることを忘れてはなりません。
② 血を飲む時が来た ― 新しい契約
イエス様は、
「わたしの血を飲め」(ヨハネ6:53)
と語られました。
これは、新しい契約を意味しています。
旧約で「血を飲むな」と命じられたのは、やがてイエスの血によって救われるための備えでした。
現代において、実際に血を飲む必要はありません。
血液感染の危険もありますし、わざわざ行う意味もありません。
ただし、血を含む食事をしてはいけないということでもありません。
レアステーキを食べても問題はありません。
※モーセの律法では、血のついた肉を食べてはならなかった、という背景があります。
③ 新約においても偶像は捨てるべきである
聖書はこう教えています。
「信仰から出ていないことは、すべて罪である」(ローマ14:23)
結果も大切ですが、それ以上に重要なのは、
なぜそれをしたのかという動機です。
たとえば、
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なぜその学校に入ったのか
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なぜその職場を選んだのか
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なぜドラマやゲームをするのか
神様以上に大切にしているものがあるなら、それは偶像になります。
たとえば、
妻よりも大切にする女性がいれば、それは浮気になるのと同じです。
3.まとめ ― 血は生命、生命は主のもの
① 主の恵みによって、私たちは自由を与えられている
私たちは、血を含め、食べ物によって人を裁くべきではありません。
ただし、隣人への配慮は常に必要です。
② イエスの血による契約に生きる
「血を食べてよいかどうか」よりも、
イエスの血の契約を受け入れて生きているかが何より大切です。
自分の命すら、自分のものではなく、主のものであることを覚えましょう。
③ 偶像をすべて捨てなさい
私たちは多くのことができます。
しかし、神様以上に大切にしているものがあるなら、それは捨てるべきです。
罪を犯してしまう環境から距離を取ることも、信仰的に良い選択です。
今週一週間の主の恵みに感謝し、
主のために生きる一週間としましょう。


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