20240225青年部礼拝
題目:魂の渇きを満たせ!
聖書:ヨハネ4:13-14
賛美:イエス わが癒し主
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書朗読:ヨハネの福音書4章13〜14節
イエスは答えて言われた。
「この水を飲む者はだれでも、また渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇くことがない。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水が湧き上がる。」
はじめに
私たちは日々、渇きを覚えながら生きています。
しかし多くの場合、その渇きを肉体的・物質的なもので満たそうとします。
その状態では、
-
「もっと与えられたい」
-
「環境が悪い」
-
「人のせいだ」
と、受けることばかりを考え、他人のせいにする人生になりがちです。
しかし、イエスと出会い、霊的な目が開かれると、
本当に満たすべきものは「肉体の渇き」ではなく、
魂の渇きであることに気づかされます。
そしてさらに、イエスと人格的な出会いを持つとき、
魂の渇きは満たされ、
「受ける人生」から「与える人生」へと変えられ、
心から喜ぶ人生が始まります。
今日は、サマリヤの女性の物語を通して、
魂の渇きを満たす道を共に考えていきましょう。
1.本当に必要なものとは何か
① 勉強する子どもと遊んでいる子ども(Slide1)
一人は一生懸命勉強し、
将来、人々に認められ、楽な人生を目指します。
もう一人は遊びを優先し、
人々に認められず、苦労する人生を歩むかもしれません。
しかし、どちらの人生も「死」という問題は解決できません。
どれほど成功しても、
どれほど自由に生きても、
心の隙間は埋まらないのです。
② ニコデモとサマリヤ人の女性
-
ニコデモ:宗教的にも社会的にも人々に認められている存在
-
サマリヤ人の女性:人々から避けられ、認められない存在
正反対の立場にいる二人ですが、
どちらも魂の渇きを満たすことはできませんでした。
人に認められるかどうかは、
魂の渇きを解決する答えではないのです。
2.イエスとサマリヤ人の女性
① なぜサマリヤだったのか(Slide2)
ヨハネ福音書の流れを見ると、
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ユダヤ(3章)
-
サマリヤ(4章)
-
ガリラヤ(4章)
-
再びユダヤ(5章)
という移動が描かれています。
イエスがガリラヤへ戻った理由
1つ目は、
ヨハネよりも多くの洗礼を授けているという理由で、
パリサイ人の非難を一時的に避けるため。
2つ目は、
王の役人の息子を癒やす「第二のしるし」を行うためです。
それでも、なぜサマリヤを通ったのか
通常、ユダヤ人はサマリヤ人との接触を避けるため、
遠回りでもヨルダン川沿いの荒野を通りました。
(エルサレムからエリコまでの標高差は約1000m)
しかし、聖書はこう言います。
「イエスはサマリヤを通らなければならなかった」(4:4)
そこには、この女性を救うという神の目的がありました。
② イエスの“奇行”(Slide3)
イエスは、当時の常識を完全に破る行動を取られました。
-
ユダヤ人がサマリヤ人に話しかける
-
男性教師が罪人の女性と二人きりで話す
-
弟子たちを買い物に行かせ、誤解を招く状況を作る
この女性が罪人である証拠は、
昼の12時に一人で井戸に水を汲みに来ていたことです。
通常、水汲みは早朝か夕方に、
複数人で行います。
一人で真昼に来るのは、
疎外され、嫌われていた証拠です。
-
イエス:この女性を救う目的がある
-
女性:この奇妙な教師と話す必要はない
ここに、すれ違いがありました。
③ 永遠のいのちを与える「生命の水」(Slide4)
イエスは言われました。
「もしあなたが、神の賜物と、
『水を飲ませてくれ』と言っている者が誰かを知っていたら、
あなたのほうからその人に求めただろう。」
しかし女性は、
物質的な水の話として受け取り、
-
汲むものがない
-
ヤコブの井戸より良い水はどこにあるのか
と考えました。
イエスは続けます。
-
ヤコブの水は、また渇く
-
しかし、わたしの水は永遠に渇かない
-
その人の内で泉となって湧き上がる
女性は言いました。
「その水をください。」
しかしこの時点でも、
イエスは霊的な話、女性は物質的な話をしていました。
④ 女性の男性関係(Slide5)
イエスは言われます。
「あなたの夫をここに呼びなさい。」
これは、
物質的思考から霊的思考へ移行させるための一歩でした。
-
5回の離婚
-
今一緒にいる男性も夫ではない
この背景には、
物質的な満足を男性に求めてきた人生がありました。
⑤ 礼拝の場所の問題(Slide6)
女性は言います。
「私たちの先祖はゲリジム山で礼拝しましたが、
あなたがたはエルサレムだと言います。」
イエスは答えます。
-
場所の問題ではない
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霊とまことをもって礼拝することが重要
-
神は霊である
ここでも、
-
イエス:霊的視点
-
女性:物質的・場所的視点
というすれ違いがありました。
⑥ イエスとの本当の出会い(Slide7)
女性は言います。
「メシアが来れば、すべてを教えてくれるでしょう。」
イエスは答えました。
「あなたと話しているこのわたしが、そのメシアだ。」
女性は水瓶を置いて町に走って行きました。
-
物質的なものを置いた
-
霊的な満足を抑えられなかった
自分のことで精一杯だった女性は、
人々に福音を伝える伝道者に変えられました。
3.重要ポイント
① 飲むためにイエス・キリストのもとへ来る(Slide8)
世の中は、
「オレンジジュースを飲め」と言います。
甘くて美味しいですが、
砂糖によって、かえって喉が渇きます(Slide9)。
本当に必要なのは、
ミネラルウォーター=いのちの水です。
② 自分の霊的な必要を知る(Slide10)
私たちに必要なのは、
喉の渇きを満たすことではなく、
魂(ネフェシ)の渇きを満たすことです。
ネフェシとは、
「喉」「魂」を意味する言葉で、
聖書には700回以上使われています(Slide11・12)。
③ 人格的にイエス・キリストと出会う(Slide13)
悪魔は、私たち以上にイエスを知っています。
違いは、人格的な関係があるかどうかです。
人格的な関係とは、
-
相手に自分と同等、あるいはそれ以上の価値を置くこと
-
自分の利益以上に、相手の利益を考えること
イエスに自分以上の価値を見出せば、
人は与えることを喜ぶようになります。
見出せなければ、
受けることばかりを求めます。
4.まとめ(Slide14)
① 水を飲むためにイエス・キリストのもとへ行こう
肉体の渇きを覚えたとき、
この世のジュースではなく、
イエスのもとで水を飲みましょう。
② 自分の霊的な必要を知ろう
霊的な目が開かれると、
-
本当に満たすべきものは何か
-
魂の渇きこそ問題である
と気づかされます。
そのためには、
イエスと出会う必要があります。
③ 人格的にイエス・キリストと出会おう
人格的な出会いがあると、
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魂の渇きが満たされる
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与えることを考える人生に変えられる
-
外的要因ではなく、内的責任を考えるようになる
私たちも、
このサマリヤ人の女性のように、
イエスと出会い、魂の渇きを満たしましょう。


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